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見るものと見られるもの、もしくは、犀川は 今日も 雪だった。

🎶長崎は〜 きょうも〜 あめぇだぁった〜
という歌を車に乗ると(CDから、八代亜紀もしくは藤圭子バージョンを)聞かせられるので、脳内に刷り込まれている。
ここ一週間、あまり外に出ていない。車の運転が危険、ってほどでもないけど、融雪装置が地震で破壊されたため、例年なら走りやすい道路も轍がガタガタである。除雪車出動のレベルもちょっと厳しくなった? まあ冬ならいつものことだけれど、今年の寒波は少し長いね。
一晩で60センチ積もった時よりは、インパクトうすい。昨晩はちょっと心配したけれど降雪量は思ったほどでもなかった。ときどき陽もさす中、小枝に刺した、みかんをヒヨドリが突きに来るのをみるのが幸せだ。野生みかん🍊の最後の一個を使ってしまった、皮は柚子みたいにゴツゴツ、でも中はジューシーなミカンなのであります。

見るとき、見る主体は見られる客体にほぼ同化している。見られている方もなんとなく視線を感じている様子。だからばっちり目があってしまうと逃げられる。つかずはなれず、ほどよい距離感がガラス窓とカーテン越しによって守られている、だけど時に眼差しは遮蔽物を貫く、他の要因もあるだろう、風の向き、カラスの鳴き声、他の鳥からのお誘い、ほとんど自分と同化していたヒヨドリがふいに飛び立つとなんとなく見捨てられた気分になる。ほんの一瞬であるが、私たちは共鳴している。
メルロ・ポンティにちなんだ名前をもらった方が金沢の次期某美術館館長に内定というニュースの見出しをみたきともあって、なんだかメルロ・ポンティの著作が読みたくなった。理解できるかどうかは別として。昔大學の図書館で毎日のように読んでいたように。もう一回学びのチャンスが欲しいものです(ただの現実逃避です。。)。Publish,or Punishment!?

今日のヒヨヒヨ。雪はこんな感じ。40〜50センチ弱?


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