新約聖書の福音を否定し、キリストの《十字架》の血潮を侮る “キリスト教”の祈りに関する教え
「・・・だから、単純に、ありとあらゆる人に向かって、困難の中にあるときには、即座に祈り始めなさい、そして、祈り続けなさいと告げるのは、新約聖書の福音の否定である。キリストの《十字架》を無用のものとし、究極的には、《十字架》で流された血潮そのものを「侮る」[へブル10:29]ことである。」
『ロイドジョンズ ローマ書講解8:17~8:39 聖徒の最終的堅忍』[12. 祈りの神秘]
(D・M・ロイドジョンズ 著 渡部謙一 訳 いのちのことば社)より
現在の ”教会” というところでは、
祈りに関して
このような教えしか聞いたことがない。
イエス・キリストの名によって、
と口先で言いながら、
「キリストの《十字架》を無用のものとし、
《十字架》で流された血潮そのものを侮る」
教えである。
いつでも、どんな時でも
とにかくただ祈りなさい、と告げ、
祈りにおいて何が必要かを教えない
無知で無責任な偽教師たちのおぞましさ・・・