しっかりしようとした人間の悲劇

「私は逆説的にものを言いたいとは思わないが、人間が堕落したのは、人間がむしろしっかりしようとしたからだと言いたい。人は自分でも思ってもみなかった仕方でしっかりしようとしたのである。本当は立つことができないのに、できると思って立ち上がろうと試みた。その結果が堕落であり、おぞましい結果を伴うこととなってしまったのである。それはすべてプライド、利己主義、自分主義に帰する。人は自らを神のようにしようとしている。自分は自律的な存在だと思っている。権利を持っていると考える。だから自分の権利と要求については黙っていない。それはただ利己主義、自己愛と自慢の現れでしかない。常に人は物事を自分に引きつけて考え、自分を中心に物事が回っていると考える。自分が中心にいる。そうなのである。しかし不幸なことに、あらゆる人が同じことをしているのだ。そこにこそ問題が起る根がある。自分だけがそうであれば何の問題もないだろう。しかし他の人すべてが言っている「私」が、まさにこの私の「私」と同じである。その結果、数多くの神々が世界の至る所に住むこととなり、あらゆる人が自己主張し、自分たちの権利を要求し、同じことを主張するようになった。そこで衝突が起ることは避けがたいこととなってしまった。」
『神との和解、人との平和』[5. キリストこそ私たちの平和]
(D・M・ロイドジョンズ 著 松元保羅 訳 いのちのことば社)より

人は何かに依存しなければ生きていられない

人は何にも依存せずに生きていることはできない

しかし人は

自分の力で立ち上がろうと試みて

完全に転落した

自分の力で立っているために

人は防衛線を張っている

自分で自分を守るために

知らずに人を攻撃している

自分が第一 

自分が中心

この世はそんな人間の集まりだから

人と人との衝突は

いつまで経っても止むことはない


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