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読書会:M. メルロ=ポンティ 『眼と精神』①

「私があなたに翻訳してみせようとしているものは、もっと神秘的であり、存在の根そのもの、感覚の感知しがたい源泉と絡みあっているいるのです。」  J・ガスケ『セザンヌ』

これは、モーリス・メルロ=ポンティの『眼と精神』の本章前に挿入されている、フランス詩人で芸術批評家のジョワシャン・ガスケ(Joachim Gasquet)の著書『セザンヌ』の引用である。

そして、本note記事のトップ画像はポール・セザンヌが1899年に製作した絵画《りんごとオレンジ》の一部だ。


今日からお隣の研究室の同期院生に誘われ、メルロ=ポンティの『眼と精神』を一緒に読むことになった。

!1月はメルロ=ポンティ読むぞ!

の意気込みで、心砕かれぬよう、本に置いてけぼりにされぬよう取り組んでいきたい。

読書会と言えども、構成員が2人であるため、日本語教育などで「ピアリーディング」と呼ばれているものにあたるかもしれない。哲学者メルロ=ポンティの著作を社会学徒と人類学徒が「ピアリーディング」したときに、なにが生まれるのだろうか。


私自身、メルロ=ポンティは彼の名前と引用された部分を目にする程度で、真面目に読んだことがない。メルロ=ポンティが人類学者クロード・レヴィ=ストロースと同級生だということは、あまりに有名であるから知ってるが、という程度にしかメルロ=ポンティへの親しみがない。

ということで、まずは図書館にあった概説書に目を通すことにした。

1冊目:鷲田清一 2003年『メルロ=ポンティ 可逆性』(シリーズ「現代思想の冒険者たち」)講談社。

2冊目:加賀野井秀一 2009年『メルロ=ポンティ 触発する思想』(シリーズ「哲学の現代を読む」8)白水社。

本をパラパラめくると、加賀野井の『メルロ=ポンティ』は主要著作ごとに章を分けていたので、最初と最後と『眼と精神』の部分は先に読んだ。鷲田の『メルロ=ポンティ』の最初の方は、メルロ=ポンティのひととなりを捉えるには(言い方が変だが)ちょうどよかった。


今日は本を持ち寄って日程を決めた。

次回は来週水曜日(1月15日)で、『眼と精神』の1〜2章分を読む。

時間があったら、それまでになんとなくレジュメとかきってみよう。レジュメができなくても、自分のための読書メモを人に見せれるくらいのものにしよう。



読書会:メルロ=ポンティ 『眼と精神』①

勉強中ですので、メルロ=ポンティに詳しい方、『眼と精神』について思うことがある方は是非コメントをお願いいたします。

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