侵略戦争が招く悲惨な現実を見て思考停止してはならない
ウクライナに侵攻したロシア軍が首都キーウ周辺から撤退し、近郊ブチャでの惨状が明らかになり世界が悲しみに包まれた。その事を伝えつつ、2022年4/6放送のワイドショーにて、何のため?と疑問を投げかけるシーンがあった。常識的に考えれば、こうなる事は容易に予想できた事なのにだ。
もちろん、現時点では悲惨な殺戮の結果としての映像が流布している状態であり、その深層部分に関しては今後の慎重な調査が必用であり、軽々しく語れるものではないのも事実だが、可能性として論じることは避けるべきではないだろう。
それは、可能性を論じることで、実態を解明する道筋にも成り得るからだ。受け身の姿勢で、調査結果を待ち、それまで思考停止と言うのでは問題への対処が遅れるだけでなく、例え調査結果が出たとしても自身の思考なく丸呑みするだけになる危険がある。あくまで一人一人が問題意識を持ち、論理的に思考することで、その考えが集約され対処が為されるべきと考える。
<悲惨な殺戮が行われた実態は>
都市制圧を実行する事を普通に想像してみれば分かるだろう。当初言われていた様な、ロシア軍を解放軍と崇めて迎え入れるのなら別だろうが、その場所は敵に溢れている。侵略なのだから当たり前なのだが、その事すら思考停止しているように思える。
侵略される側の立場でも考えてみる。一般市民と言っても、今回の様な短期間で逃げ場所、逃げる手段が確保できる筈も無く、侵略者が入ってくるならば、まずは自分達の命を守ろうとするのは当然だ。投降して命が助かるとは思えないだろうし、隠れられれば隠れるが、隙があれば反撃も試みるだろう。あくまで自分達の命を繋ぐために。
侵略者側は、この様ないつ反撃されるか、どこから攻撃されるか、分からない究極の状態で都市制圧する為には、慎重に見極めながら適切に踏み込んで行って制圧するのに、国際法上の戦争犯罪を犯さない様に実行する為には、相当な時間と労力、危険が伴うので、無差別攻撃で制圧する方法が簡単で攻撃側のリスクも低くなるのだ。しかも、侵略側のロシア軍の編成自体、潤沢な体制とは言えず、過酷な任務を強いられていたのも現実であろう。
20世紀型の戦争の姿だが、余りにも犠牲が大きく、悲惨な為に、第二次世界大戦後に戦争犯罪として、侵略戦争や国際法に違反する戦争の計画・開始・遂行の責任に関する罪(平和に対する罪)、一般民衆に対する大量殺人・迫害など人道に反する行為の罪(人道に対する罪)が加えられたが、ルールがあれば守られると考えるのは浅はかと言えよう。
つまり、このルールを守る限り、そもそもの侵略も禁止事項であり、更に都市制圧は実現が相当困難なのだ。だから侵略するなという、それ自体抑止になるのは間違いないが、逆に言うとルールを破った侵略が決断された時点で、他のルールも守られないと考えるべきである。その方が味方軍の損耗を最小限に作戦実行できるからだ。
かくして、前時代的虐殺が実行されたと考えられる。
そして、この現実はデジャビュ―の様に、過去のソ連からロシアにかけて行われてきた歴史の事実が思い出される。当事国は否定している様だが、その否定する論旨も少々矛盾を感じる内容が多い。最終的な結論は、調査を待つ必要はあるだろうが、現時点でも、ある一定の結論が導かれても仕方がない状況だろう。
<命を懸けて戦う戦闘員への報酬>
実はそれだけではない。20世紀、第二次世界大戦以前どころか、中世の戦争の様相が見えるのだ。
戦闘員は命を懸けて戦う。大義を感じ、主君への忠義で命を捧げる様な綺麗ごとではない。命令とは言え、命を懸けるに相応しい戦果が無ければ戦闘員の統率などとれるはずがない。
戦国時代なら首級を上げる事で、立身出世や土地などの報奨が得られる。というのは表の歴史で、実態としては、攻め落した地域の一般人からの略奪、拉致しての人身売買を認める事で、戦闘員の働きに報いるという痛ましい現実が存在した。もちろん、これは中世の負の歴史なのだが、今回のロシア軍の行状を見る限り、同様の状況が暗黙の了解であったかもしれないと考えられないだろうか。
国際社会には、第二次世界大戦後の秩序どころか、中世そのままの戦争観を維持し実行する国家も残存している事は疑い様のない事実であり、目を背けてはならないだろう。
<平和ボケから目覚めなければならない>
第二次世界大戦後、冷戦構造による戦力バランス拮抗で一定の秩序は保てていた様に見えるだろうが、それでも中東やアフリカなどでの紛争は絶えなかった。我々が、自分事に感じなかっただけであり、ウクライナ侵略は平和ボケに浸る日本人に現実を突き付けた。ここで目を覚まし、我々が侵略を受けない為には、どうすれば良いか、真剣に考える必要がある。いや、既に不当な侵略を許し、不当占領されている固有の領土も複数存在する。
攻めて来られたら、逃げの一手だと相手に思われれば、相手の侵略を容易にし、招き寄せる結果に陥るだろう。容易に攻めていけない、攻めればとんでもないしっぺ返しを食らうと本気で相手に警戒させる事が抑止力である。そのため、使わない力であろうとも、いつでも使える力があると知らしめ、実際に起きた場合に遅滞なく対応できる様に普段から訓練を積んで準備を怠らない事が、悲惨な侵略を防ぐ唯一の方法であろう。
繰り返すが、戦後秩序を守る国際ルールがあっても、侵略する国は守らない。話し合いで防げるなら苦労はしない。話し合いするにも、双方の譲歩とWinWinを達成させる為には侵略した方が早いと思わせない事が必用であり、それなしの妥結など夢物語だろう。
専守防衛とは、侵略が現実に行われると確認出来るまで戦わない事であり、その時点で本土は少なからず被害を受ける。侵略は起きてから逃げられるものではなく、悲惨な結果が待っている。だからこそ、侵略されない、侵略させない、侵略しようとも思わせない国家になる必要があるのだ。
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