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爪跡と生活  - Life with Disaster - 大子・久慈川篇・後編

 観光とはつまり移動である。

 2019年10月12日に日本列島を襲った台風19号は、家屋や農地への浸水だけではなく、道路や線路へも把握しきれないくらいの被害をもたらした。水が豊富な日本という国土にあって、道は川を渡らねば目的地に到着できない。そのために重要な役割を果たすのが「橋」である。
 今回の台風19号では大小合わせてあまたの橋が崩落した。栃木篇でもお伝えしたが、宇都宮市の川田橋や小山市・佐野市の生活道路に架かる橋が崩落し、無残な姿を川底に横たえていた。
 それらの橋は地域の生活にはなくてはならないものばかりだが、小規模道路に架かる橋が多く、極端に言えば代替の道を通って遠回りをすれば目的地には到達できよう。だが中には代えの利かない橋も存在する。それは鉄道の橋だ。

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 JR水郡線の袋田駅~常陸大子駅にある全長137.8m、全幅3.8mの「第6久慈川橋梁」は10月12日未明、久慈川の増水によって発生したおよそ7mまでの高さにおよぶ濁流によって7連あった鉄製橋桁がすべて落下。コンクリート製の橋脚6基のうち3基が消失、1基は転倒した。
 同日には同じ路線内の磐城浅川駅~里白石駅間の第二社川橋も流出したことを受けて、JR東日本は翌日より水郡線全線で運転を見合わせた。安全が確認された一部の区間で運転が再開されたのは3日後の10月15日からだ。

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 JR水郡線は水戸市水戸駅~郡山市安積永盛駅までを結ぶ路線距離137.5kmの鉄道である。水戸駅は常磐線へ連絡、安積永盛駅は東北本線と連絡しているため、思いのほか使い勝手が良い。
 常陸大宮駅より北は久慈川沿いを並走するようにして進むため、車窓から山間の風景を楽しむことができる。山岳地帯を運行する鉄道としてはトンネルが比較的少ないことも特長の一つだ。地元からは「奥久慈清流ライン」の愛称で親しまれている。

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 水郡線は特に学生などにおいては生活の足としても欠かせない存在であるため、安全が確認された一部区間で早急に運行が開始された。具体的には2019年10月15日からは水戸~常陸大宮間、同年11月1日からは水戸~西金間まで運行区間を延長し、同日には郡山側からの安積永盛~常陸大子までが運行可能になった。
 しかしそこからが長かった。西金~袋田~常陸大子の3駅2区間は橋の崩落、線路の変形・歪みの影響で安全の確保が難しい。事態を重くみたJRはこの区間での代替輸送の臨時バスを運行。生活における最低限の移動を何とか担保し、路線の復旧を待った。
 そして2020年7月4日、西金~袋田間の運行がようやく再開された。東京からの観光の目玉である袋田の滝まではどうにか鉄道がつながった形である。

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 こうしてようやく観光への足掛かりを取り戻した大子町であるが、そもそも大子という街は道路インフラから孤立しているといってよく、最寄りと言えるインターチェンジは常磐道の高萩ICであるものの、そこから街までは優に1時間以上かかる。距離にして40km以上だ。その他にも有料道路にあたるようなバイパス道路はなく、自家用車で訪れるのであればひたすら下道を行くしかない。そのため、東京圏から常磐線を経由して大子まで来られる水郡線はことのほか重要なインフラだ。

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 観光客は団体客志向から個人客志向へと、企業の構成員やご近所様方のような関係性の緩い集団から家族や友人などの結びつきの強い数名へと、平成の初めごろから数十年かけて変化していった。それはつまり、移動する人数のバッチが大人数から少人数へ変化してきたのだと言える。大型バスを借り切ってホテルに乗り付ける、といった移動方法から、友人と2人で電車で移動する旅へと、画一的な経験を共有することで仲間意識を植え付ける時代から、楽しみ方自体の有意義性が問われる時代へと移り変わってきた。
 このように、現代の旅行客にとって鉄道はなくてはならないインフラであり、取り急ぎとはいえ袋田駅までの運行が再開されたことは実に喜ばしいといえる。

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 しかし、第6久慈川橋梁の被害は簡単に建て直せるような代物ではなかった。今後も同じ被害を受けないよう、橋梁を1mほど高くするなど橋の設計から見直された。流出・転倒した橋梁の撤去作業や基礎地盤の均し、重機の出入り口の確保など環境整備のタスクも多く、橋の建設という基礎的な土木作業の難しさを改めて思い知らされる。

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 常陸大子駅から袋田駅までを久慈川に沿って歩くと、問題の流出した橋梁が視認できた。取材時は修復工事の真っ最中であり、重機やトラックがひっきりなしに川原を移動していた。橋の崩落によって宙に突き出た線路はとてもシュールな光景で、まるで出来の悪いアニメのワンシーンを観ているようだ。川の中ではユンボがたくさんのフレコンを積み上げたり崩したりしている。見たことのないような重機もせわしなく働いている。取材時は2020年2月。まだまだ工事は本番を迎える前であった。

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 この他に、道中では河川以外でも法面が崩壊した箇所が多数あり、こちらにもフレコンバッグで応急処置を施してあった。沿線には浸水被害があったドライブインや中古自動店、あるいは一般の住宅もあり、街の疲弊感は一層強まるばかりだ。竹藪は濁流に倒れ、砂面に固まった乾いた泥濘が自然の頑固さを物語っている。こういった部分に工事などの手が入って景観を元に戻すことは決してないだろう。ありのままと言えば聞こえはいいが、人間の営為には予算が付きまとう。見た目だけならあまり固執することもできない。河川の相貌とはこうして時折変化していくのだ。

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 予算と言えば、台風の記憶が冷めやらぬ2019年10月25日の時点で、茨城県全体での中小企業推計被害額は68.5億円ほどが見込まれたのだが、そのうち135件、30億円以上の被害がこの大子町に集中していた。人口比率から言えばかなりの額である。那珂川の洪水で甚大な被害を受けた、人口や予算規模で大子町をはるかに上回る水戸市の中小企業推計被害額が約20億円弱である。大子町はただでさえ苦しい台所事情に決定的な一撃を加えられたといってもよい。

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 特に水郡線の橋梁の架け直し作業には相応の予算が必要で、約20億円の復旧予算をJR東日本は全額自己負担した。これは採算から言えばかなりの冒険であると言って良く、JRは資本投下に際して投資回収以外の何かをここ水郡線に見ていたのかもしれない。
 JRの鉄道利用者数の目安として用いられる数字に「輸送密度」というものがあり、1日1km当たりの旅客数で表す。旧国鉄時代はこの輸送密度が4,000を下回ると廃線を検討する対象となったそうで、ローカル線の実態を表す数値としてJRが公開している。
 これによると、2017年における輸送密度は、今回の台風被害によって長く運休していた区間、「常陸太田」~「常陸大子」間で1,010とかなり低い。常陸大子より以北はさらに低く、「常陸大子」~「磐城塙」間は253と、全国でも下から数えて十数番目だ。

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 こうした不採算路線である水郡線だが、地元の動きは早く、大井川茨城県知事の官邸への働きかけによって、被害がまだ生々しい2019年10月21日には赤羽国土交通大臣が流出した橋梁や橋脚を確認。視察後、記者団に対して「被害の大きい路線の早期復旧に向けて、鉄道運輸機構や鉄道総合技術研究所による技術支援を行っている」と述べた。あわせて、道路管理者や河川管理者といった関係機関との連携や調整を円滑に図ることができるよう支援を行なうことも明言した。

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 事実、復旧工事の取り掛かりはかなり早く、即時に始められたといっても過言ではない。これは同じように水害によって橋を流失した只見線と比べると雲泥の差があることがわかるだろう。
 インスタグラムなどで有名になった只見線であるが、JRの中でも不採算路線の筆頭であり、輸送密度は全線でほぼ200を下回っている。2011年7月の新潟・福島豪雨によって流出した第5只見川橋梁は、復旧工事が始まったのが崩落から7年が経とうとしていた2018年6月からだ。そしていまだ工事の終了は見えておらず、2022年度での完成を目指しているという。
 もちろん工事の規模などが異なる(特に地質条件)ため単純な比較はできないのだが、JR東日本の水郡線への力の入れようが特別であることを物語っている。

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 「奥久慈清流ライン」という愛称で親しまれる水郡線の、その車窓から見える景観がピークを迎える季節は秋である。冷たくなりつつある風が山肌を徐々に赤く染め、湿度が低下した怜悧な空気は明るくくっきりとした光を山里にもたらす。秋は多くの実りと共に、大子町にたくさんの観光客を連れてくる。

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 大子町にはりんご園が約40か所もあり、様々な品種を栽培していてそれらの収穫・試食を楽しめる。いわゆる「りんご狩り」が観光の一端を担っている。りんご栽培の南限とも言われ、多くの果実は樹木で完熟させて収穫するため、市場に多くは出回らない。りんご園を訪れて自ら収穫し、その場で味わったり販売してあるものを購入する。観光客の多数が紅葉に彩られた袋田の滝に眼福を満たし、たわわに実る芳醇なりんごを楽しむために秋の大子を訪れる。

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 観光を主な産業の柱とするなら、こうした「観光客の移動」を下支えすることがどうしても必要だ。ゆえに、日本全国の観光地はインフラ事業とは切っても切れない関係である。当たり前のことだが、観光地自体を移動させることは不可能であり、顧客の方から来てもらわねば成り立たない産業なのだ。
 インフラの整備には巨額の資金が必要で、ゆえに一度投資した金額に固執する「サンクコストの呪縛」も起きやすい。一度観光産業に向けて走り出すと、容易に方向転換できなくなるのはこのためでもある。

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 しかし、年々下位へと低迷する日本の一人当たりのGDPや、頻発する災害などによる拠出金の増大によって、観光業は極めて大きなダメージを受けている。昨今の新型コロナウィルスによる影響は言を俟たないだろう。それだけでなく、今よりもはるか以前から「観光」という地方の産業の拠り所は破壊され始めている。
 バブル崩壊後の社会情勢の変化は、団体から個人へと嗜好の環境変化であり、国民全体の収入が減少し続けている現状は、楽しむという選択肢から観光を除外していく方向に舵を切っている。単純に余裕がなくなっているのだ。

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 リソースは不変ではない。温泉だっていつかは枯れるかもしれない。風光明媚な自然でさえも台風や地震で回復不可能な被害を被らないとは全く限らない。それどころか、近い将来には気候変動によって日本には秋という季節がなくなるかもしれない。それくらい世界は不定で満ちている。

 図体のでかい無駄飯喰らいの観光という産業を、ずっと食わせていくことが我々には可能なのだろうか。

 2021年3月27日、1年5か月に及ぶ労苦を乗り越え、水郡線は常陸大子駅までの全線を開通することができた。当初発表されていた2021年夏という完了目標を5か月近くも短縮した再開は、JR東日本と工事に携わる方々の並々ならぬ努力の結晶であった。
 当日、常陸大子駅周辺では大井川茨城県知事をはじめ赤羽国土交通大臣、梶山経済産業大臣らが出席して記念式典が行われ、街はお祝いムード一色に包まれた。
 この日、常陸大子駅の近隣住民は久しぶりに訪れる水郡線の車輛を迎え、線路沿いで農作業をしていた方々も列車や乗客に手を振って喜びを伝えた。また沿線では住民らが名画になぞらえて黄色い布や小旗を掲げ再開を歓迎した。
 線路端に群生した一面の黄色い菜の花が、振られた歓迎の旗と同じように満面の笑顔で風に揺られていた。

 (了)

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