ホセ・ムヒカの信念!
10月20日、「世界一貧しい大統領」として知られるウルグアイのホセ・ムヒカ氏が、政界引退を表明した。85歳の高齢で持病を抱える健康上の理由だという。「これまで、本当にお疲れさまでした」と申し上げたい!
ムヒカは、何よりも「貧者・弱者の味方」という「信念」を貫いて生きてきた。その意味では、「手術するメスを銃に」代えて戦ったチェ・ゲバラに通じる「南米の英雄」ではないかと、以前から注目していた人物である。
「世界一貧しい大統領」ムヒカ
ホセ・ムヒカ(José Alberto Mujica Cordano)は、1935年5月20日、スペインのバスク人家系の父親とイタリアからの移民家系の母親の間に、ウルグアイの首都モンテビデオで生まれた。彼が5歳の時、農園を所有していた父親が破産して死亡してしまう。その後のムヒカは、畜産業に従事しながら、極度の貧困生活の中で暮らした。
彼は、少年時代から政治団体に顔を出していたが、1959年にカストロとゲバラが成功させた「キューバ革命」に触発されて、左派ゲリラ組織「トゥパマロス(Movimiento de Liberación Nacional-Tupamaros)」に参加するようになる。トゥパマロスは、資本家を優遇する「大土地所有制」の解体や労働者の権利を求めて武装闘争を行った。青年時代のムヒカは、その闘争資金を得るために「強盗」や「誘拐」などにも手を染めたらしい。
1970年3月、モンテビデオのバーに居たところを逮捕されそうになったムヒカは、警官に銃で抵抗した。彼は、2人の警官を負傷させる一方で、6発の弾丸を撃ち込まれる重傷を負った。瀕死のムヒカを献身的な努力で助けた外科医は、「トゥパマロス」のシンパだったという説もあれば、医師としての良心から全力を尽くしただけだという説もある。
当時のウルグアイ政府は「内戦状態」を宣言して、軍部に「トゥパマロス」を弱体化させた。その功績によって増長した軍部は、1973年にクーデターを起こして政権を握る。ムヒカは、軍事政権当局から合計4回捕えられ、その内2回は脱獄した。その後、1985年に軍事政権が「民政移管」されるまでの約13年間、ムヒカは収監されたまま、軍事政権の「人質」として扱われた。彼の身体には、合計25発の弾丸が撃ち込まれている。
出所後のムヒカは、かつての「トゥパマロス」のメンバーと左派政党を結成し、1995年の下院議員選挙で初当選を果たした。2005年にはタバレ・バスケス大統領の下で農林水産大臣として入閣し、2009年の大統領選挙でルイス・ラカジェ元大統領を決選投票で破って、2010年3月に大統領に就任した。
ムヒカは、2015年2月までの大統領在任中、カトリック教会の反発を抑えて「人工妊娠中絶」を合法化し「同性婚」を承認した。また、地下組織化した麻薬密売を抑止するために、世界で初めて国家として「大麻」の生産と販売を合法化している。これらのラディカルな政策は、非常に斬新とはいえ、麻薬組織が強大な勢力を持つ南米で施行するのは、命懸けの決断と言える。
ムヒカが「世界一貧しい大統領」として有名になったのは、大統領時代に月給の約90%を慈善団体に寄付して、月に千ドル程度の貧困生活を送ったからである。彼の生き方をイギリスのBBCが2012年に報じた特集では、ムヒカの個人所有資産は、1987年製の中古車フォルクスワーゲン・ビートルのみだったという。
ムヒカは、ノーベル平和賞に2度ノミネートされた。今春には、エミール・クストリッツァ監督のドキュメンタリー映画『世界でいちばん貧しい大統領――愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ』も公開されている。
ムヒカの講演:「日本人は本当に幸せですか?」
ムヒカは、2016年に日本を初めて訪問し、4月7日に東京外国語大学で講演を行った。会場には、中南米から15カ国の駐日大使らが訪れ、野外のパブリック・ビューイングにも多くの聴衆が集まった。
ムヒカの講演「日本人は本当に幸せですか?」が YouTube に公開されているので、紹介しよう。
ムヒカの根本的な批判は、現代人が「消費主義」に溺れている点を厳しく指摘する。「消費主義」は、人々の「労働」を、人々の「幸福」とほとんど関係がないことに無駄使いさせる。現代人は、最も大切なことを忘れてしまったのではないか、というのが、彼の投げかける大きな問いである。
読者は、この講演を視聴して、どのようにお考えだろうか?
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