書くことを始める
noteという空間に入り込んでから、数日経った。なんの目的や計画もないまま始めてしまったものだから、どうやって過ごしてみようか、まだぼんやりとしている。ここに、何を書いていこう。そもそも、どうして書くことを選んでみたんだっけ。
30半ばを迎えてから、漠然と、“このままではいけない”という黄色い信号が灯されたような気がした。何の変化もなく、成長を感じない自分に、ぞくっとする感覚が襲うようになった。心のコップが一杯に満たされていたとしたら、いつのまにか蒸発して、少しずつ、少しずつ減っていってるような。継ぎ足されることも入れ替えられることもなく、気が付いたら半分に減っていくだろうし、このまま放っておくと…?
消費されるように過ぎていく日々に焦りを感じて、何かを変えなくちゃ。始めなくちゃ。と考えるようになった。そういったものは普通、考えなくても自ずと湧き出るものなのかもしれないけれど、湧き出てこなかったからか、今にいたる。
考えて考えて捻り出そうとしなければならないほど、自分にはこれといった蓄積や能力や夢すらもなくて、実に能天気なまま、努力という努力もせぬまま、ここまで来てしまったんだなぁと思い知らされる。本当に呆れてしまう。
それでもいいからと、どうせゼロなんだから0.1にでもなればくらいの気持ちで、紙に書き出したり本を読み漁ったりしながら向き合ってみた。すると、自分にできることはとても少ないけれど、これからやってみたいことや、言うだけタダの夢のようなものは結構あるのに気が付いた。
その一つが、「書く」ということだ。
いつも、その時その瞬間で感じたことや考えていることはあっても、頭の中で宙に浮いたまま行き場をさまよって、ただ、うようよと漂い続けているだけだった。昇華されずに溜まっていくから、もやもやと曇り、一向にクリアにならない感覚がまとわりついて、ストレスになっていた。自分のことなのに、自分のことすらよく掴めずに。
特別なことや器用なことはできないけれど、そんな頭の中のひとつひとつを、書いてみて、文字にして、見つめてみるのはどうだろうと思うようになった。うようよと彷徨ったままの形ないものではなく、つぎはぎだらけでも言葉にして、繋げてみる。私のことを知るために、私のことを書く。何を感じて、何を心に留めて、何を大事にしている人間なんだろう?いいこともそうでないことも、とりとめのないことでも。書くことを通して、日々を踏みしめている実感を得ることができたら、それだけで充分かもしれない。
そうしてnoteに入り込んでみた。誰かに伝えられるような知恵も経験も能力もなんにも持っていない私だけれど、ここで「書く」ことを始めてみようと思う。放ったらかしだった頭の中に手を差し伸べて、ひとつひとつを、ページの上に取り出して。綴っていったら、どんなnoteになるだろう。
そんなことを考えていたら、もうすでに、心に一雫の潤いがもたらされたような、そんな気がしている。