![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/150440190/rectangle_large_type_2_ff186496948adaaaf2dd41eabbbd358e.png?width=1200)
桐壺登場 その二十一 いずれの御御時っていつ?を語る
その二十一 いずれの御御時っていつ?を語る
いずれの御御時。それはあなた方の歴史年表には存在しません。ここは醍醐朝の設定が見受けられながらも、一条朝の風が吹いています。その風が私を死へと誘いました。その「いずれの御御時」について、時空の禁忌を蹴破って次元と他人面を理性の刃でぶった斬りましょう。
その前にひとこと言わせて!私、『源氏物語』が映像化される度に楽しみにしてきました。でもその度にがっかりしました。違うんです、違うんです。あなた方は平安時代をどんなだと思っているのですか、桐壺更衣を何だと思っているのですか。…と言っても無理よね。あなた方は平安時代をそんな風に思い、桐壺更衣をそんな風に思っているのね。だから私、登場してしまったんですけどね。愛とか恋とかお姫様とか大好きなあなたたち、ホントの事言ってごめんね。その雅って、捏造だから。
で、いずれの御御時。そこには女御更衣があまたさぶらっているわけですが、それっていつ?ってことなんですよね。いずれの御御時はあなた方の年表上には存在しないといえども、女御更衣はあなた方の年表上にもさぶらっていますから、それっていつ?ってことなんですよね。そのゾーンに切り込みます。
そもそも、お妃様とは何でしょう。お姫様大好きなそこのあなた、ハイ!そうです!大宝律令にこう定めてありますよね。
「天皇の后妃は皇后、妃二人、夫人三人、嬪四人」
あれれ?おかしいぞ?女御も更衣も律令に規定されてないぞ?
安心して下さい。「本朝月例」には衣服を賜るべき後宮として「妃、夫人、嬪、女御、更衣云々」とあります。
おおっ!
このように女御と更衣は妃として国から給料、貰っています。でも令外。
なるほど〜。どちらも令外の妃、なんだね〜。じゃあ、その、女御と更衣の差、っていうのは実際、どんなものなのよ?
そうなんです!そこなんです!そこに身分の差というものが歴然と現れているのです!
それが親王宣下と賜姓源氏です。だから女御更衣と賜姓源氏はセットで歴史に登場します。
さて記録によれば、女御は桓武天皇から孝明天皇までいます。更衣は嵯峨天皇から村上天皇までしかいません。よって女御更衣があまたさぶらっていたと言えるのは、嵯峨天皇から村上天皇までです。
では皆さん、天皇系図をご用意して下さい。その時をご一緒に確認してまいりましょう。