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桐壺登場 その二十六 光、九歳、お母さんって何?を語る

その二十六 光、九歳、お母さんって何?を語る

 ところでそんな藤壺の宮、位は何でしょう。
 私がいとやんごとなき際にはあらぬ更衣なのだから、際まさる彼女は当然、女御です。
 え?
 女御?
 皇女なのに令外の妃?
 そうなのです。実は大宝律令に定められた「皇后、妃、夫人、嬪」の内、夫人と嬪は平安時代に入ってから廃れちゃったんです。なくなっちゃったんです。そして新しい呼び方が生まれたんです。それが中宮、女御、更衣です。それで私たちの時代に使われているのが、皇后、中宮、女御、更衣なんです。際にはあらぬ私が更衣だから、際まさる彼女は女御しかありません。その上にはもう中宮、皇后だけですから。
 あれれ?妃は?律令に「四品以上の内親王」としっかり規定されている妃は?
 あ、気づいた?うーん、妃は何となく宙ぶらりんです。だって世の中、藤原ワールドですから。私も藤原だしね。貴族が実権握るためには内親王に入内されては困るんです。大宝律令、不比等が作ったのにね。不比等、光明子のパパだからね。なんかね。もやっ〜とするよね。とにかく私たち、藤壺女御のことを藤壺の宮とお呼びしています。皇女様だからね。

 さて、源の姓を賜り、源氏の君と呼ばれるようになった光る君。臣下となって、さぞかし戸惑いも多かろう。と思いきや、相も変わらぬ宮中暮らし。そう、帝は今までと同じくおそばにおいておかれたのでした。これはつまり、複数の女たちのもとに通う帝と臣。それと同時に、複数の女たちのもとに通う父と息子。ねじれにねじれてきました。
 光、九歳。
 この先、大丈夫でしょうか。
 あ、帝、藤壺へお渡りあそばされました。源氏の君も御簾をくぐります。何とまあ自然に。異様な光景です。
 光る君にとって後宮とはどんなところなのでしょうか。

 光る君にとって後宮とは「お母さん」がいるところです。お父さんはたった一人ですが、「お母さん」はたくさんいます。一つの御簾の中に一人の「お母さん」です。その「お母さん」達は皆、歳をとっています。殆が私より先に入内した方々ばかりですから仕方ありません。最高権威の父のもと、宮中で育った光る君にとって「お母さん」というのはそういうものであったはずです。
 そう、光る君にとって既にして「お母さん」というのは後宮という特殊な空間の、一つの御簾に一人ずつ配置された、既に若くない、諦めと悲しみと可笑しみと逞しさの、そういう女たちなのでした。
 そのはずだったのに、新しく藤壺にやってきた「お母さん」は反則のように若い。この「お母さん」は何だか変だ。光る君はそう思ったのではないでしょうか。
 複数の「お母さん」同様、藤壺の宮も一つの御簾の中に収まっています。でも複数の「お母さん」と違って藤壺の宮は光る君を避けようとします。複数の「お母さん」と違って藤壺の宮は几帳や扇の影に隠れようとします。そして複数の「お母さん」と違って藤壺の宮は異母姉の様に若く、しかしながら異母姉とは全く違う。違う。違う。違う。

 お母さん?

 お母さんって何?

 そこへあの典侍が言うのです。
「この藤壺の宮様は光る君の亡きお母上にとてもよく似ていらっしゃいますよ」
 似てませんて。でもそう言われて、光る君は「ああ、僕の本当のお母さんというのはこういうものだったのか」と思ったでしょうね。それと同時に「僕の本当のお母さんというのは断じてこういうものではない」と思ったでしょうね。そしてその瞬間、真っ白になってしまった。

 いいえ、いいえ、そうではない。
 お母さんというのは、その最初から完全に真っ白だったのです。

 お母さんって何!

 
 
 


 

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