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闇にうごめく影 9


揺れも、噴き出していた蒸気もおさまり、静まりかえっている。
ここは岩山の入口に繋がる、他より広い空間だったが、大きなむくろがひとつと、壁や天井の崩れた残骸とで今は雑然としている。
周莉莉シュウ リーリーたちは地下層のどこかで将軍に捕縛ほばくされ、一瞬のうちにここへ運ばれていた。
この岩山は将軍と一心同体だという。それはまるで魔術のように、将軍の思うがままの情況が繰り広げられるということ。
捕縛の網もいつの間にか消え去っている。
「馬鹿者ども。お前たちも、あの者のようになりたいのか」
背後に転がるむくろに将軍は視線を向けた。
「抵抗しても無駄、ということなのね」
床に蹲るうずくまるようにして少女を抱えている周莉莉シュウ リーリーは、吐き捨てるように呟いた。なすすべがない。
胸の内にまた沸々ふつふつと強い嫌悪と怒りが湧いてくる。

ところがその時、将軍の後ろに立ち上がった影があった。
それは素早い動きで将軍を襲った。同時に前方からも将軍の腕に飛びついていく。将軍は襲ってきた者たちに剣を向けようとするが、その手は強烈な力で噛みつかれていた。たまらず取り落としていた。
将軍の頭には牛頭ごず、上半身に馬頭めずが組み付いていた。
牛頭ごずは将軍の顔を塞いふさいでいた。目と鼻、口にぴったり牛頭の体が張り付いている。
馬頭めずは将軍の右手に噛みついたまま両足で左腕を抑えていた。

ふたりを振り落とそうと闇雲に暴れる将軍だったが、大きな音を立ててそのまま横倒しになった。辺りに瓦礫がれきの埃が舞う。
倒れても将軍は組み付いているふたりを何とか払いのけようとするのだが、抵抗むなしく徐々に力尽きていき、とうとう動かなくなった。
途端に、身に着けていたその豪華な甲冑かっちゅうが崩れていく。
華麗な衣装もちりのように消え去っていく。
そうして、後に残ったのは、白骨化したむくろだった。

だがしかし、むくろの上に新たに蠢くうごめくものがあった。
掌に乗るくらいの小さな球体だった。それが白く発光している。
目を凝らしているとしだいに大きくなり何かの形になっていく。
と同時に「ぐすっ、ぐすっ、」と声がしてきた。
現れたのは、しゃがんでべそをかいている、白い着物姿の小さな男の子だった。周莉莉シュウ リーリーの抱いている少女と同じくらいの。
「うえ~ん。え~ん、え~ん。あ~ん、あ~ん」
泣き声が大きくなってきた。
牛頭ごずの声が静かに響く。
「魂をすり減らして、残った欠片かけらが、この坊主か。
坊主、泣くのはよせ。泣いたって元には戻らねえ。
妄想妄念に憑りつかれると、人はとんでもねえ力を出すが、
結局、それは夢幻じゃ。それがようわかったじゃろう。
お前には、行かねばならん場所がある。ワシらがそこへ連れて行ってやる」厳しくも温かな言葉だった。だが、
「ぎょっ、かん。ぎょっ、かん。うえ~ん」
更に少年の泣き声は大きくなった。
母親を求めるかのように玉環の名を呼び続ける。
「ぎょっ、かん。ぎょっ、か~ん」
「玉環さまは、あっちで、待っておるぞ」
馬頭めずの声はひたすら優しかった。はたと少年の泣き声が止まる。
涙に濡れた顔で目の前のふたりを交互に見ている。
「えっ、ひっく、ほんと?ひっく、ぎょっかん、は、どこに、いるの?」
黄泉よみだ。黄泉の国で、お前を待っとる」
今の今まで震えながら泣き叫んでいた少年は立ち上がった。
泣き濡れたままもう笑顔になっていた。

「これはいったい、いったいどういうことなんです。牛頭ごずさま。
あ、牛頭さまとお呼びしても、よろしいんでしょうか?」
周莉莉は恐る恐るそう訊いた。
「ああかまわんよ。その通りワシは牛頭ごずじゃ。こっちが馬頭めず。お前さんには、お見通しだったか。ワシらが地獄の獄卒じゃと気付いていたのじゃろう。
じゃが将軍さまには、自分のかつての家来に見えていたじゃろう」
「牛頭さまあなた、生きてたんですか?てっきり死んでしまったのだとばかり思っていましたが」
「地獄の獄卒ごくそつを、なめてもらっちゃあいかんな。
獄卒の息の根を止められるのは、閻魔えんまさまだけじゃ」
牛頭ごずは、にやりと笑ったがすぐに真顔になり
「そんなことよりおいあんた、大丈夫か。腕、腕がえらいことになってるじゃないか」
慌てて近付いてきた。
将軍の滑り落ちた剣が床に弾んで飛んできたのだ。
周莉莉シュウ リーリー咄嗟とっさに背を向け抱いていた少女をかばった。それが左腕をかすめていた。剣は深く腕をえぐっていた。
牛頭ごずは身に着けていた布を割き、周莉莉の傷に巻き付けてやった。
「ありがとう、ございます」

「しかし、もうちっと気の利いたとこに避難させてやれんかったのか。
ずい分と危ない目に遭わせてしまったのう」
「いやそれが、思った以上にお前の芝居が真に迫ってたから。
あせってしもうて・・・」
「いえ、馬頭めずさまには、大変、骨を折っていただきました」
周莉莉に苦笑いの顔を向けながら牛頭は更にこう言った。
「ワシらの役目はこの将軍の魂を、あの世に引っ立てて行くことじゃった。
まあ、魂を削りに削って、この世界をつくって、残ったのはこの坊主というわけか。

一方でな、地獄の底の底に、もっと狡猾こうかつで、往生際の悪い亡者もうじゃがおる。そいつの動向も探っておった。
そいつは、ちっとばかし小細工のできる力をもっておってな。
何が目的なのか、巧妙に立ち回っておるのじゃ」
「それが、将軍が”あいつ”と呼んでいた者ですね。取引をした相手。
いったいそれは、何者なのですか?」
「それがいまだに、ワシらには分からん。まだその実体はつかめんのじゃ。
ただわかっておるのは、年に二度、地獄の釜のふたが開く頃、そいつは地上にやってきて、何やらやっておるということだけじゃ。
そうして、同じように往生際の悪い亡者に目を付けた、というわけじゃな」
牛頭ごずは少年に目をやった。

周莉莉シュウ リーリーも、「実は、」と自分の事を打ち明けた。
「実は私は、この子の母親ではありません。
現世うつしよから見ると、ここは水墨画に描かれた世界なのですが、
このはある時期、紛失したもの、というか盗まれたのだともいわれています。
それがこの子の暮らす屋敷に隠されていた。なぜなのか。
私はそれを探っている者です」
「あんたが、その子の母親ではないことは、ワシらは分かっておったよ。
そのの事は、ワシらには分かりようもないが、狡猾で往生際の悪い亡者と、縁があることなのかもしれんの」
「ああ、そういえば、」
馬頭めずが思い出したように口を挟んだ。
「あの威勢のいい猫。あれはお前さま所縁ゆかりのものかね。
ちょっと、可哀そうなことをしてしもうた。悪かったな。
大丈夫だとよいがの」
「ええ、私の長年の相棒です。心配ではありますが、きっと大丈夫。大丈夫ですとも」

少年は牛頭馬頭ごずめずと手を繋いで周莉莉シュウ リーリーを見上げている。澄んだ瞳だった。
少年の気持ちはもう黄泉の国に飛んでいるようだ。ふたりの間で落ち着きなく両手を動かしている。
「はやく、はやく、行こうよ」
「待て待て、慌てるでない」「しょうのない小僧だ」
将軍の魂の欠片かけらだというその少年の横顔は、どこまでも純真無垢だったが。
今度のことは「狡猾で往生際の悪い、ある亡者」が発端だったとはいえ、付け入るスキを与えた将軍も罪が深い。少女の命を奪うところだったのだ。
やり切れない思いで周莉莉は見つめ返した。

辺りには、墨が水に流れていくように灰色のもやが立ち込めていた。
靄はしだいに濃い霧になっていく。
気が付くと平らな岩の上にいた。この世界の初めの場所だった。
更に霧が立ち込め何も見えなくなった。
牛頭馬頭の顔ももう分からない。声だけが響いてくる。
「達者でな」
「さらばじゃ。じゃが、やつには気を付けろ」
それが最後だった。
どこから湧いてくるのかとめどなく流れてくる濃い霧が、周莉莉シュウ リーリーを押し流している。躰がゆっくり動いていく。少女をしっかり抱きしめ、周莉莉はそっと目を閉じた。
そして・・・


最終話へ

<注釈>
「地獄の釜の蓋が開く頃」とは、旧暦の1月16日と7月16日といわれています。(諸説あり)この2日は「閻魔賽日」とも呼ばれ、地獄の釜の蓋が開いて、鬼や亡者が骨休みをする日とされています。
時代小説などに「藪入り」といって都市部の商家などの奉公人に休みを取らせる日として登場することもあります。


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