見出し画像

闇にうごめく影 8


1200年以上も前の、大陸の政変で処刑された楊貴妃・玉環の亡骸なきがらとともに、自らをこの洞窟に封印したのだと将軍は言った。
そして「ここはうつつ黄泉よみ狭間はざま。自然のことわりの及ばない場所なのだ」とも。
ここには時の流れ季節の移ろいなどない。なんの法則も秩序もないのだ。
ここは、将軍の玉環への強い想いゆえに生み出された世界なのだ。
将軍の妄想の世界といえるのだろう。
「妄想」。時に絵空事として否定される言葉だが、想いの強さの分だけその世界は広大で深遠になる。果てしない永遠の世界だ。
だが、あの牛頭馬頭ごずめずのふたりはなんだ。
政変の騒乱で亡くなったかつての腹心。その者たちを蘇らせた者がいると言うのだが。どう見ても地獄の獄卒ごくそつ亡者もうじゃを使役する者たちだ。
封印を解き牛頭馬頭を将軍の元に差し向け、更に少女の魂と引き換えに玉環をも蘇らせると囁いた者。それはいったい誰だ。
将軍の言う「あいつ」とはいったい、何者なんだろう。
それもまた妄想によって生まれたのか?。

周莉莉シュウ リーリー牛頭ごずに案内された小部屋にいた。
目の前にはいまだに意識のない少女が寝台に横たわっている。
傍らかたわらの椅子に体をあずけずっと考えを巡らしていた。
将軍はまだあのひつぎの部屋のようだ。
周囲からは物音ひとつ聞こえてこない。
静かな中いつしか眠気に襲われ次第にまぶたも重くなってきた。
一度誰かが顔をのぞかせたようだったがすぐにいなくなった。
あのふたりのどちらかだろう。不思議なもので、ふたりの獣臭い悪臭は、慣れてしまえばそう気にもならなくなっていた。

しばらくして、部屋の外が騒がしくなり目が覚めた。
「おい、あんた、ぎょ、いやシュウリー?ええい、なんでもいいわ。
とにかくあんた。逃げるなら今しかない。付いてくるか?」
牛頭ごずが部屋に入ってくるなりそう云い放った。
馬頭めずもすぐに現れ、まくしたてる。
「おい、どうすんだ。今しかないぞ。行くんだろう?」
ふたりは声を潜めてはいるが強い口調だった。
「逃げる?」逃がしてくれると言うのだろうか。その言葉を信じられず躊躇ためらっている間に、馬頭がまた少女を背負っていた。
毛むくじゃらのその手は大切なものを扱うかのように優し気だった。

「えっと、なぜ?」
「いいから、ワシらにまかせておけ」
本当に付いて行っていいものなのか。まだ迷っていた。
だが構わずふたりは部屋を出て行く。
これはもう付いて行くしかない。
周莉莉シュウ リーリーは慌てて後に続いた。
突然どおーんと地響きがした。いきなりの地震?
いや、ここへ来た時から足元が微かに揺れていた。あれは前兆だったのか。
また、どおーんと大きく床が揺れる。
「あっ」「うっ」「うわっ」三人がよろける。
山全体が揺れ動いている。
洞窟が崩れるのではないかと思えるほどの大きな揺れだった。
無数の横穴から蒸気も噴き出してきた。
地下深くから何か大きな力が湧いてくるようだった。
「この揺れは、いつもよりひどいではないか。やつが来るのか?」
「そんなばかな。まだ、地獄の釜の蓋が開く頃ではないぞ」
「やつって、それはいったい、何者です?」やはり実在する者なのか。
こちらの問いかけには答えず、ふたりは「あそこか?」「いや、こっちだ」と、外へはどういう経路がいいのか顔を寄せて話し合っていた。
「やっぱりあそこだ」結局洞窟の入口へ向かうようだ。
そこへ、
「お前たち、何をしているんだ」
「しょ、将軍さま」
背後に将軍が迫っていた。洞窟中の揺れと物音に誰も気付かなかった。
「将軍さま、申し訳ないがワシらは、将軍さまに、従うわけにはいかない。どう考えてみてもこの幼子は、母親とともに、家に帰すべきだ。
あいつに差し出す生贄いけにえなんぞ、とんでもねえことだ。
ワシは、うっ、」
そのあとの言葉を牛頭ごずは続けられなかった。
いつの間にか将軍は剣を抜いていた。その剣が牛頭の胸を貫いていたのだ。
胸に目をやりそのまま膝をつく牛頭。剣がゆっくり引き抜かれていく。
と同時にそのまま前に倒れていった。
馬頭めず周莉莉シュウ リーリーは驚いて声も出なかった。
足もすくんで動けない。
ふたりの前に出口を背にして将軍が立ちふさがっていた。

そこへまた揺れがきた。吹き出す蒸気も更に激しくなった。
もうもうと立ち込める蒸気に目と鼻の先さえ見えなくなっていた。
馬頭めず周莉莉シュウ リーリーの腕を掴んだ。「こっちだ」
将軍が剣を振り回し空を切り裂く音が聞こえてくる。
大音声だいおんじょうも響き渡る。
「どこへ逃げるというのだ。どこへ行こうと無駄だ。
その幼子を置いていけ。玉環と引き換えの大事な駒だ」
ふたりは蒸気の中を下へ降りていく通路へ入って行った。
ひつぎの部屋へ向かう通路とは反対側だった。
ただかなり狭くて低い。ここならすぐには追ってはこられないだろう。
馬頭めずは無理やり腰を屈め体を滑り込ませている。
背中のさやかの頭を、岩肌にぶつけないよう周莉莉シュウ リーリーは抑えながら進む。
「ここはどこへつながっているのです」「しっ、しずかに」

進めば進むほど更に細く狭くなっていく。
それが下へ下へと向かっていた。
その内とうとう馬頭めずって進むしかなくなった。
ここから外へ出られるというのだろうか。
不安しかないがとにかくひたすら付いて行くしかない。
しばらく行くといきなり大きな空間に出た。やっと息がつける。
「ここまでくれば、もう大丈夫だ」
ホッとした顔を向けた馬頭の背中から周莉莉はさやかを抱き取った。
「なぜ、私たちを助けてくれるんですか?あなたは将軍のご家来なのでしょう?こんなことをして、あの牛頭ごずのような目に遭うことになりませんか?」
「いやそれはいいんだ。気にしなくていい。それに実を言うとワシらは将軍の家来ではない。しいて言えば、ワシらの将軍は閻魔えんまさま、じゃな」
「それじゃ、やっぱり、あなたたちは、地獄の、」
馬頭めずがにやりと笑う。
「それにしても、これはいったい何が起きたんです?」
「いや、これまでにもあったのだ。じゃがこれは、今までになくうんとでかいがな。どうやらこの山は、将軍さまのお心の高ぶりに呼応しているようだ。山は将軍さまと一心同体、とうわけだ」
「心が高ぶると山が揺れる?この子を手に入れたから、これで玉環さまを蘇らせるという高ぶりですか。なんと身勝手な、」
吐き捨てるような口調になっていた。
「玉環さまは、蘇ることなんぞ、のそんではおられん。
ワシらは、黄泉よみの国を通るとき、玉環さまに会っておる。
 身体は柩の中じゃが。魂はもう黄泉の国の住人じゃ。とても満ち足りたお顔をしておった」
「あなたたちは、地獄からなぜここに?」
「あいつじゃ、あいつのせいじゃ。あの往生際の悪い亡者のせい。
 とまあ、それしか今は言えんがの。
 それよりお前さんは、なぜここにいて平気なのだ。ここは並の人間なんぞのおれる場所ではないぞ。
 ほれ、この幼子、まったく目がさめぬであろう。夢の中をさまようておるのじゃ。普通の人間は、ここではこうなる。
 もしや、お前さん、まさか・・・」
馬頭めず周莉莉シュウ リーリーに不審な目を向けたその時、 
「お前たち、どこへ隠れようとこのワシから、逃れらんぞ。
 大人しく出てまいれ、悪いようにはせぬ」
閉ざされた空間に将軍の声が響き渡った。
それが壊れたスピーカーでがなり立てているかのようで、鼓膜が破れそうになる。頭の芯にも痛みが走る。
次の瞬間、ガラガラッと目の前の薄暗がりの壁が崩れていった。
そこには将軍の姿があった。
「うわっ、」「あああっ」
網を投げつけられ丸ごと三人捕えれてしまった。

また元の広間に戻っていた。
床には倒れたままの牛頭ごずむくろと、剥がれ落ちた壁の残骸が所々散らばっていた。
まだ揺れはおさまっていはいなかった。

9へ



いいなと思ったら応援しよう!