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『奇談・怪談・夢語り その八』

~水底へ~

―――とぷん とぷん と音がする。

 寄せては返す波打ち際に 夕日がふたりを赤く染めた。

「ボートに乗ろう 湖面からの景色も きっと綺麗だよ」

 微笑みながら 貴方はいった。


―――とぷん とぷん と音がする。

 オールのひとかきごとに飛沫が上がり波紋が広がる。

―――とぷん とぷん と音がする。

 そのたびに 湖岸の喧騒が消えていく。
 
 徐々に広がる星明りが 本当に綺麗だ。

「サイトで見た通りね 来てよかった」と 私も笑う。


―――とぷん と音がして いつの間にかボートは湖の真ん中。

 もう湖岸ははるか彼方へ霞んでいる。

「一緒に 死んで くれるか」

 俯いて 私の目も見ず 貴方はいった。

 そして返事も待たず「僕と一緒に 逝こうよ」という。

 ちらりと光った瞳に 私は確信する。

 いいえ 逝くのは私ひとりきり 貴方は来ない 来るはずがない。

 貴方が欲しがったのは ひと時の背徳感を与えてくれる都合のいい女。

 家庭を棄てる気ははなからなく 気が付けば 私を持て余し 

 どうしようもなくなっていた。
 
 貴方のその優柔不断は 私にだけ見せる弱音と思わせ 私を酔わせた。

 でももうお手上げ 手詰まり 行き詰まり 袋小路のどん詰まりね。

 こうなることは 分かっていたの。ふたりの旅もこれで最後だと。

 
 首にかけられた手が熱い。
 
 これ以外どうしようもないのだと 自分に言い聞かせている貴方。

 ひと思いに 刃物を突き立ててくれたほうが早いのに。 

 ああそれでもやっと 意識が薄れていく。


―――とぷん と 密やかに音がして 私の躰が投げ出された。

 反射的に伸ばした手が空を掻く。お笑い種だ。

 とっくに命運は尽きているというのに 手を伸ばしているなんて。

 だから 水を掻いたのはほんの一瞬 すぐに諦め沈むに任せた。

 
 暗い暗い水底へ 落ちてゆく 落ちてゆく 落ちてゆく。

 気泡が上へ上へと上っていく 私の生きた証が上っていく。
 
 また手を伸ばしてしまったのは 生きた証への微かな未練だったのか。

 
 深い深い水底へ辿り着くと 私の躰は ゆっくり溶けだしていくのだ。

 皮膚が 髪が 肉が 溶け出して そうしてこの躰は

 すっかり湖とひとつになるだろう。

 それでも 私の魂は ほんの小さなため息の泡となって

 再び地上へと戻っていくのだ。

 その刹那 夜空の星々が 私をみつける。

 驚いて ほんの少し 泣いてくれるだろうか。
 
 ほら もうすぐ もうすぐ 水底だ。

 
 そして貴方といえば オールの先に 私の髪を絡ませ帰って行くの。

 知らなかったでしょう? 私これでも結構執念深いの。


拙作にご高覧たまわりありがとうございます。
現代詩のように書いてみましたがいかがでしたでしょうか。
今後ともよろしくお願いいたします。

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