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街にうごめく影 最終話

彼女の語り


「十五年前のことです。
 私、クラスメイトのマイさんに、青い蛙の置物をあげました」
 スーさんは、台湾の博物館で働いている29歳の女性だ。
 同じ年頃だった日々を懐かしむように、三人の中学生を感慨深げに見回していた。華は妹と同じ名前が飛び出し少し緊張した。
「あのとき、マイさんは、クラスメイトから、酷いいじめにあっていました。あからさまだったにも関わらず、止めに入る者が、誰もいませんでした。私は転校してきたばかりでしたが、すぐに異様な状況に気付いて、マイさんを励まそうと、この置物をあげたのです。幸運を招くという蛙の置物を」
 
 俊介の部屋は四人も腰を下ろすと窮屈だった。六畳の和室の壁側にベッド、窓に向かって勉強机がある。
 木箱はベッドの反対側、押入れの段ボール箱の間に押し込まれていた。
 箱は取り出されると、肩を寄せ合っているみんなの真ん中の小さなテーブルに置かれた。
 恐れと好奇心で固唾かたずをのむ華たちとは対照的に、スーさんは初めから冷ややかな視線だった。
 しっかりとくくられた紐がほどかれふたが開けられる。
 初めて目にする者たちに緊張が走った。
「眼を見てはだめ」と聡子がいってたから、上からちらりと覗いてみただけで、華も俊介も誠さえ手を出さなかった。
 確かに陶器の蛙だった。
 深い沼のような緑がかった青い蛙。ごつごつした背中がガマガエルのようで、とても可愛らしいとはいえない代物しろものだった。しかもそれが三本足だというから、異様な形状に誰も手を伸ばして確かめようとはしなかった。
 
 取り出したのはスーさんだ。
 思っていたより小ぶりだった。本当に三本足だ。とはいうものの安定感がある。部屋の明かりに黒々とした瞳が反射して華は思わず目をそらした。
「これが、青い蛙の神さま?願い事を叶える力が、あるっていう?」
 乾いた唇がかさついて華は声もかすれていた。
 ところが、
「いいえ、そんな力はありません」というスーさんに三人は愕然がくぜんとした。
「そんな。だってサトちゃんは、おじさんもおばさんも、これに振り回されて、」
 あの家族は、これのために命を失ったのだ。
 霧に浮かんだホログラムに映し出された、聡子たちの最期がよみがえる。
「だってこれは、単なるお土産用に、昔、私の曽祖父や祖父が作っていたものですから。それも今では作り手もなく、すたれてしまいましたが。
 昔々、中国大陸のどこかの田舎で、信仰を集めた古い神様と、伝えられてはいましたがね。だからといって、なにかのご利益があるとかいうことはないんです」
 スーさんはきっぱりといい切った。
「そ、そんな、じゃあ、サトちゃんは、」
 華の中に言いようのないやり切れなさと怒りが湧いてくる。思わず膝の手を握りしめていた。
「聡子さんたちは、そのマイさん家族が引っ越した後、すぐにやって来たんだよね」「あの、そのマイさんは、どうなったんですか?」
 二人の男子は冷静に問いかける。
 
 庭の金木犀《きんもくせい》の木の下に壊れた蛙の欠片かけらが埋められたのは以前の住人がいた頃のこと。というか、そのマイさんが埋めたと考えられるだろう。壊れた蛙に、マイさんが関わっているのではないのか。
「マイさんたちが、今どこでどうしているのか、全く分かりません。
 ただ、私がまたすぐに転校することになって、その少し前に、マイさんをいじめていた子たちが、病気や事故にあって、学校にこれなくなっていましたけれど。でもそれは、単なる偶然というもの。
 この蛙が、何か、影響を及ぼしたとは思えません」
 そんな話しが昔もあったのだ。
 だが、何の関わりもないといえるのだろうか。
 華は、俊介にしても、聡子の悲痛な告白と願いを直に聞いている。
 聡子たちの事件の顛末を知るふたりは、これが原因だと確信していた。

「思春期症候群。という言葉を知っていますか?」
 唐突にスーさんの口から出たそれに、思春期真っ只中の三人は一瞬何のことか分からずとまどった。
「ししゅんき、しょうこうぐん?」「な、なんですか、それ」
「知らない、初めて聞きました」
 目を見交わした華たちは、とまどったまま首を横に振る。
「激しい怒り、憎悪などにより、対象に固執執着し、とんでもない妄想を生み、幻覚を見せるもの。
 思春期というのは、人の成長過程の中でも、特に一種異様なエネルギーの湧き出す時期です。
 素晴らしいものを生み出す、原動力でもありますが。
 妄想幻覚は本人だけではなく、生活を共にしている家族、共感してくれる人々をも、往々にして巻き込むのです」
「待って、ちょっと待ってください。
 私たちが、サトちゃんの妄想の中にいたというんですか?」
「そうともいえます。ただ、その妄想を生み出したのは、聡子さんだけとは限らない。もしかしたら、複数の人々の妄想が、絡み合っての事象かと」
「何だよ、妄想って!」
 これまで見せたことのない激しい口調で俊介が叫んだ。
「妄想って・・・」誠が脱力する。
 気の毒そうな眼差しのスーさん。
 そして誰もが言葉を失った。

「これは、私が、持って帰ります」
 突然スーさんが宣言した。
「いやでもサトちゃんは、この蛙が生まれ故郷の、長江に帰りたがっているからって。後を託されたんです、私。
 だから、何とかそれを叶えようと、中国へ行くための情報を集めていたんです」
「折角ですが、元々の持ち主は私ですから。
 後のことは、私にお任せください」
「いや、でも、私、サトちゃんと約束したんです」
「大丈夫、ですから」スーさんの瞳が鋭く光った。
 華は蛙に手を伸ばそうとしたが、スーさんが一瞬早く手にして、元の木箱に納めてしまった。
「亡くなられた方々には、大変申し訳なく、思います。
 ご冥福を、お祈りいたします。
 では、私はこれで、失礼します。どうぞ、皆さまお元気で」
 そうして、深々と少年少女に頭を下げ、木箱と共に立ち去って行った。
 
 日が暮れ西日の射しこむ俊介の部屋に、無言のまま呆然としている三人の姿があった。俊介は弟を想って天井を仰いでいた。誠は女性が去って行った戸口をぼんやりみつめている。華は目を閉じ腕を組み、聡子の面影を辿っていた。
 誰もが、これまでのことが現実のこととは思えなくなっていた。
 風のように現れ、風のように去って行ったスーさん。
 彼女の語っていたことが真実なのかどうなのか、彼女の存在そのものまでもが夢か幻のように思えてきた。
 催眠術にでもかかっていたような。夢、そう白昼夢、だったのだろうかと、それぞれが思い始めていた。
「入るわよ。あらあら、どうしたの明かりも点けないで。
 静かだからもうみんな帰ったのかと思ったわ。
 あの綺麗な人、もう一時間も前に帰ってったのよ。
 あんたたち、お店のほうで晩ごはん食べていきなさいね」
 子どもたちに声を掛けたが、「う、ん」「はい」「ありがとうございます」気の抜けた返事が返ってきただけだった。
 階段の下から勇作の声がする。
「あれっ、ハチは?ハチがいない。ごはんも食べてない。へんだな」
 華たちはそれからしばらくの間、夢うつつから立ち直れなかった。

「ふうーっ、危ないところじゃった」
「ごめんなさい。見つけ出すのに手間取ってしまって。
 それにしても、よくがまんしましたね、将軍。ふふふっ、」
「笑いごとじゃあない。実際危ないところじゃった。
 もうあと少しで、剥がれ落ちて正体をさらすところじゃった。
 これもお前のせいじゃないか、あのマイとかいう娘にわしを渡すから。
 しかし『思春期症候群』だの妄想幻覚だのと、よくもまあそんな子供だましの話しがすらすらと出たもんじゃ」
「嫌ですね子供だましだなんて。『思春期症候群』って、ちゃあんとあるんですよ。それに仕方ありませんって。
 この一連の事件に将軍が関わっているなんてこと、あの子たちに信じてもらっちゃあ困るんですよ。
 おまけにマイさんの件だって、余計なことしちゃってるし。
 ただ、一言二言元気づけてくれればよかったんですよ、なのに、余計な事して。
 結局 彼女の行方、分からないままじゃないですか。
 今回だって、失わなくていい命を失ってしまってる」
「いや、やっぱりわし、その、一応神さまじゃったから。つい・・・
 それにお前、思いがけずとはいえ、壊されて埋められることになるとは思わんじゃろ。
 こう長い事埋められておれば、誰だって焦るじゃろうに。
 しかし、今回の事件はわしには、関係ないぞ。
 遅かれ速かれ起こっておった。
 あの者らの逃れられない運命というしかない、可哀そうではあったがな」
 長身の長い黒髪をなびかせた女性が、大事そうに木箱を抱えている。
 その足元には猫がぴたりと付いていた。
 しばらく心中事件とボヤ騒ぎのあった家の前に立ち止まっていた。
 猫はやれやれと頭を振り見上げている。
 
 今は黄昏どき。生者も死者も帰る場所を求めてさまよう時。
 立ち止まっているこの人影には誰も気に留めず、それぞれの場所へ向かっていた。
「もちっと、『人を呪わば穴二つ』を皆が、理解してくれると、よいのじゃがの。しかしまあ、この街はなんと、得体のしれないモノが蠢いておることよのう」
 それを聞いた女性は、呆れたようなため息を吐く。
 今まで無口だった猫が話しかけた。
「あ、スーさん、そうそういえばアタシ、面白い子と仲良しになったの。
 あの、誠っていう子にくっついてる男の子なんだけどね。
 将軍の居場所、ようやく見つけて、スーさんに知らせようと思ったのに、
 途中であの子に会っちゃって、急ぐからまた今度って、付いてこないでねって、いったのにくるんだもん。あせっちゃったわよ。好奇心旺盛な男の子だったな。誠って子を守ってるんだっていってた。昔の罪ほろぼしにだって。そうか、あの子にもう会えないんだ」
 結構おしゃべり好きな猫のようだ。
「なにその子。知ってます?将軍」
「わしは知らんよそんな奴。だからお前も一歩遅れたというわけか、マオ。
 あの若い者ら、あのままじゃったら本当に大陸に渡ってしまうところじゃった。なんとも真っ直ぐな子どもらじゃったな」
「そうね。今の大陸に渡ってしまうと、とんでもないことになったわね」
「そもそもあそこに持ち込める代物ではないからな、わしは。
 おまけに今の長江なんざ、かつての姿は跡形もないからの」
「危なかったね。でも将軍が言ったんでしょうよ、長江へって。
 あの娘、そういってたじゃない」
 マオと呼ばれた猫は面白がっている。
「長江は長江でも、わしが帰りたいのは、お前たちだって分かっておるじゃろう。やれやれ、やっと帰れるわい」
 
 
 故宮博物館のバックヤードには、遠い日の幽玄な長江の姿が描かれた水墨画が、修復のため保管されている。その絵の中の水辺に、もうずい分前から不自然に色が抜けている箇所があった。
 その昔、大陸に「金華将軍」と呼ばれた青い蛙の神さまがいたが、今はもう知る者はない。

この物語に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
ひとまずこれにて落着ですが、只今、誠と華の娘、”しおり”の登場する物語を創作中、近日公開の予定です。(俊介やスーさんも登場します)
どうぞよろしくお願いいたします。

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