ジャン=ジャック・ルソー生誕200周年
モーリス・バレス
1912年6月11日 国会にて......
みなさま
私は政府の出したジャン=ジャック・ルソーに名誉を与える案に賛成しません。私の意見を簡潔に述べたいと思います。私は、確かな情熱と感性を持った芸術家として、また言ってみれば音楽家として、彼を尊敬しましょう。『孤独な散歩者の夢想』『告白』『新エロイーズ』などは感嘆すべき作品です。彼自身は、自然と孤独の叙情的な愛によって人を遠ざけるという気の毒な美徳を持っていました。この点に関して、私は彼を弾劾することはありません。そして、私は社会的な観点からも彼を指弾するつもりはありません。むしろあの時代においては有用性、もっと言えば神の恩恵のようなものを持っていました。彼は、知性がいきすぎていた社会に、妄想と感情の激しい発露をもたらしたのです。革命でギロチンにかけられたクスティヌ将軍の息子の若い亡命貴族が私に教えてくれた言葉があります
しかし、みなさま、私が称賛を言えるのはここまでです。みなさまが私に求めているのはこれ以上の称賛なわけで、みなさまは彼が『人間不平等起源論』『社会契約論』『エミール』などの著作で示した社会・政治・教育に関する考え方に同調することを私に求めていらっしゃるわけですが、それはできません。そして、みなさまの内の多くもできないはずです。みなさまがルソーに名誉を与えたいと思うその気持ちには、一つ大きな嘘があるのでございます。
というのも、彼は社会を自然の外におき、自然の名おいて個人を社会と対置させるという、とんでもないパラドックスを作った人なのです。そんな人を、国家の名において大仰に称揚することが有用で実りあることであると、みなさまは本当にお考えなのでしょうか? 現在、みなさまは社会が不公正で悪であると言って社会を攻撃する人々に対し断固戦っており、彼らは社会に死をかけて闘争を宣言しています。あらゆるアナキスト理論家に参照されている人間を公式に称揚すべき時ではないのです。ジャン・グラーヴ(1)やクロポトキン(2)からルソーに至るまで、彼らの思想にガルニエ(3)やボノ(4)を非難できる知的な要素はありません。ええ、ジャン・グラーヴにもクロポトキンにもです。
彼は子供に対して高度にシステム化された教育を施すことで、家族や同族の影響から子供を引き離した教育理論家です。そんな人間を、国家の名において大仰に称揚することが有用で実りあることであると、みなさまは本当にお考えなのでしょうか? 私からすれば、教育者の責務とは、効率よく、自己形成中の人格に文明の印を刻み、まだ若い精神に家族と国家から素晴らしいものとすでに認められたあらゆる感性を授けることであると考えています。
彼は社会秩序は人工物であり契約によって成立しているということ、家族それ自体すら契約によって維持されているということを原則として提示し、そこから我々各人が幻想に応じて社会を再構成する権利を持っていることを導出したのです。そんな人間を、国家の名において大仰に称揚することが有用で実りあることであると、みなさまは本当にお考えなのでしょうか? ああ、みなさま、我々は全員よく知っているはずです。社会が純粋理性によって作られた作品ではなく、その起源に契約があるようなものでもありません。そんなものよりも遥かに不思議な影響が、個人の理性などとは何の関係もなく、家族、社会、その他のあらゆる人間の秩序を作り、保持しているのです。
あらゆる形態のアナキズムの進行を止めるため、今は、アナキズムの原則であり卓越した使徒である人間を称賛しかねないようなことをして、フランスの若い世代に対して強烈な影響を与える時ではありません。ただでさえ、その成果を我々はすでに目の当たりにしているのです。ルソーのすべての政治的著作において、彼の考えはプロクルステスのベッド(5)に人を寝かせるような空想だったのです。彼は自分の独断的な理性がそれ一つで、これまでの深淵で不可思議な歴史の中に起源をもつ社会をさらに健康的で活気のあるものにするのに十分だと妄想していました。なんという思い上がりでしょう! つまり、ルソーは科学の方法論を知らなかったという事です。彼の純粋に観念論的な構造に対し、私たちが対置するのは、知的な観察と、言うなれば、歴史による実験の結果です。試験、調査、分析、これらのものは長い事、伝統に対置されてきました。しかし、試験、調査、分析を行ってきた知の巨人たちが最後に発見してきたのは、伝統のありがたき力なのです。そのうちの一人として挙げられるのは、みなさまがソルボンヌの目の前に像を打ち立てた人ですので、みなさまは否定なされないでしょうが、オーギュスト・コントです。彼はその莫大な研究を一つの言葉でまとめました。「生きているものは死者によって支配されている。」死者たちこそ私たちの仰ぐべき師匠です。私たちは死者たちの意志を現在必要な事に取り入れることができ、私たちは彼らを否定する事はできませんし、すべきでありません。ルソーはそのような有害で無意味だった反逆に我々を差し向けた類稀なる天才です。彼は、まるで私たち全員が新しくやり直すべきであるかのように、まるで私たちが今まで全く文明化されていなかったかのように、私たちに動くようにしむけているのです。我々は彼に従う事を拒否します。
みなさま。私は政府の人間の一人として、ルソーの示した原則を称揚することは深い真理のないイベントであるという権利を持っています。あなたたちがやろうとしていることは、機械的な行動にすぎず、意味を深く考えずに演奏する間抜けな吹奏楽団の演奏のようなものではないでしょうか。それか、もっと酷くて、私が今あげたような批判をみなさんもわかった上で、革命の聖人に列席させられているこの人に対して誉を与えることはあえてしないようにされているのでしょうか? いずれにせよ、みなさまの計画には、1912年現在のフランスに適したものは一つも見られません。私は投票しません。私はルソーは我々の社会が耳を傾けるべき預言者であるとは宣言しません。彼は偉大なる芸術家です。しかし、同族を思う精神一つがあれば否定できてしまうような奇妙な点や間違いに彼の限界があります。彼の聖書である『エミール』『人間不平等起源論』『社会契約論』などがそれ以外の何をしたというのでしょう。私にとって、彼は素晴らしい交響曲を作った魔術師ですが、その卓越した音楽家である彼に私が人生の相談をすることはないでしょう。
註
(1)Jean Grave:ジャン・グラーヴ(1854-1939)。アナキスト理論家・運動家。1916年にはクロポトキンとともに「16人の宣言」を起草し、アナキストとしては珍しく、一次大戦における反ドイツ姿勢を表明した。
(2)Kropotkine:ピョートル・アレクセイヴィチ・クロポトキン(1842- 1921)。ロシアの無政府共産主義者。
(3)Octave Garnier:オクターブ・ガルニエ(1889-1912)下のボノのアナキスト過激派グループの一味。警察との攻防戦にて死亡。
(4)Jules Bonnot:ジュール・ボノ(1876-1912)アナキスト過激派。武装集団を結成し、1910・11年に、銀行をはじめとした多数の施設にテロ攻撃を実施し、1912年に警察との攻防中に死去した。
(5)プロクルステス:ギリシャ神話の登場人物。通行人に寝床を提供し、ベッドからはみ出した部分を切り落とし、足りない部分は引っ張って伸ばす拷問を行っていた。社会を杓子定規に当てはめようとするルソーの試みを揶揄している。
Maurice Barrès, « Le bi-centenaire de Jean-Jacques Rousseau », Edition de l’Independence
原文アーカイブ:Le bi-centenaire de Jean-Jacques Rousseau : Barrès, Maurice, 1862-1923 : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive