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日本型モデルという経済奇跡:『通産省と日本の奇跡』からのノート
全書概要
東洋の文化社会に西洋の政治体制を移植した日本は、英米の自由資本主義モデルとは明らかに異なる経済システムに依拠して、20世紀に産業発展と経済離陸の奇跡を起こし、世界の研究者の注目を集めた。 本書では、1925年の商工省(通商産業省の前身)創設から1975年の25周年(商工省創設50周年)まで、日本の産業政策部門の設立と数十年にわたる国家産業政策の議論と指導の歴史を、実証史的分析によってたどり、その成果を紹介する。
一般に、日本の経済の奇跡を説明する考え方には、「相互協力」という文化的特質を重視する「国家主義派」、奇跡を市場原理に帰する「市場原理派」、日本の特殊な経済システムを重視する「独自システム派」、低い軍事費、低い技術移転費、高い国際市場開放性を利用したとする「フリーライダー派」の4派があると言われている。 フリーライダー」派の考え方 これらの学派はいずれも日本の経済的成功を説明する上で一定の妥当性を持っているが、著者は、日本の経済発展の背景には、戦前と戦後の人的・制度的な産業政策の連続性と、独自の資本主義政治・経済制度モデルとそれに対応する運用メカニズムが歴史的に形成されたことがあると論じている。 政治家、官僚、企業の社会的生産トライアングルの中で、著者は特に官僚の役割を強調している。
本書の最大の貢献は、「開発型国家モデル」という概念である。 アメリカのような規制志向の国が、市場が最良の資源配分手段であり、政府は市場を規制し、市場ルールを維持・安定させ、市場の効率性を確保するために存在すると考えるのとは対照的に、日本は開発志向の国であるとするものである。 日本モデルは、官僚支配体制を中核とし、産業政策によって市場要因を誘導・刺激し、経済成長を促進するものである。 このようなモデルの中で、日本は、政府がビジネスを支援し、ビジネスが政府に報いる、両者は敵ではない、という官民協力のシステムを構築してきた。
また、著者は日本に代表される発展型国家モデルの特徴をまとめている。第一に、国家は小規模で給料も安いが経営能力の高い官僚機構を持ち、その任務は日本の産業構造政策の定義と選択、産業発展のための最善の選択肢の決定、企業間の競争の監督である。 第二に、公共サービスは、立法府と司法府が「安全弁」の機能を超えることを許されず、役人の不正行為や社会的利害に介入することが政府部門に求められる、徴兵制と効果的な働きの政治システムを採用したことである。 もちろん、日本は社会主義的な統制形態に陥ったわけではなく、国家による介入は市場の法則に沿ったものであり、過度の硬直化は避けられている。 最後に、通商産業省は主管官庁として、規制されたシステムの中で適度な権力を享受している。
つまり、日本の経済的成功は一夜にして達成されたものではなく、日本の特殊な国情と特殊な歴史的条件の産物である。 日本の産業政策の発展は、時代と環境に適応した迂遠で継続的な学習過程であったことが明らかである。
読書メモ
著者がアメリカの視点から日本の産業政策の発展について説明したことは、日本、さらには東アジアの新興工業国の成功について新鮮な視点を提供し、関連研究のギャップを埋めるものである。 ただし、日本の産業政策は1927年の金融危機に始まり、1973年の石油危機で成熟した。 日本にとって、昭和期に経験した一連の経済危機のために、この高度成長の経済システムは、国家が基本的な優先順位を設定したように、偶然の結果というより、必要な選択であったといえるだろう。
日本の制度的正統性は、貧困と戦争という苦難の時代がもたらした、民衆の幅広い支持と共通の目標に由来するという点でユニークである。 加えて、日本の文化は「適合性」と「階層性」を重視し、社会の変化をできるだけコントロールし、社会を政府と一致させようとしてきた。「日本にはまだ競争力があるのか?」では、国家志向と産業の発展との因果関係も問われている。 したがって、日本の経済的成功やその後の発展途上国の教訓を説明する際には、この点に注目することが重要である。