~絆《むすぶ》~ 4 イラスト       穂積小夜さん 小説 鈴木智弥

「ねぇ、ゆいどうしたの?ぼうっとして」
あの喧嘩のことを思い出していた私は、ついぼうっとしてしまい、音の問いかけを数回、無視してしまっていた。
「あ、ううん。なんでも………」
音と二人の帰り道。それは今までと同じ。ただ二人でたわいのない会話で笑って、難しいことなんてなにも考えずに、ただ音といられることが嬉しくって。
でも、どうしても喧嘩してしまったあの時から心にはもやがかかってしまう。口では嬉しいと言うし、実際にこの心も音のことをちゃんと好きだ。そのもやもやの理由が何なのかは、今の私にはわからない。
「大丈夫? もしかして寒い?」
「寒いのは当たり前、だから大丈夫。さ、帰ろ。おと」
私がそういうと、音は掴んだ腕を少し強く抱き寄せた。本格的にやってきた冬に震えてしまう身体は、意識しなくともそれを許容した。
「ゆい、どこかに行ったりしない、よね」
何も話さないまま歩き続けて、大きい交差点の赤信号で私たちは足を止めた。積もった雪が通る車の風によって吹き荒れて冷たさを肌に感じる。その瞬間、音はそう不安そうな表情で言った。
「え? どこかって?」
私は聞き返す。実際、私はどこか遠いところに行く予定もなにもない。
「引っ越し、とかそういうのじゃないよ? でもなんだか、ゆいが離れちゃうような気がして」
音の表情は、マフラーの中に隠れる。合わなくなる顔、聞こえにくくなる声。それでも音は、私の腕だけは絶対に離さなかった。
「だから、大丈夫って………私はどこにもいかない」
「でもあの時は、ゆいは私の前から消えちゃったから...…」
「それは、だって」
信号が青に変わる。一緒に信号待ちをしていた老夫婦が歩きだす。それでも私たちは、まだ歩みを進めない。
「私、昔跳び箱で八段まで跳んだの、覚えてる?」
口元を覆って表情はまだ見せない音が、こちらを向いてそう言った。
「う、うん。覚えてるけど」
「初めての挑戦で成功しちゃって、それで少し調子乗って。二回目もできちゃって」
「運動神経、いいよね。おとは」
「うん。その時までは、ね。三回目を跳んだ時、私は失敗した。思いっきり落ちちゃって、痛くて。私はその失敗体験で味わった痛みとか恐怖がずっと忘れられなくて、もう跳べなくなった」
喋るたびに動く口元が、表情を隠す布をずらす。見えた音の感情は、それはなんだろうか。無理して、笑っているのだろうか。
「そう………ずっと疑問だったの、運動のできるゆいがなんで運動部に入らなかったのかって」
「私は、弱いからさ。また失敗しちゃうんじゃないかって感情に囚われて、抜け出せないの」
音は、私の手を引いてもう一度青になった横断歩道へと進む。
何も言えない。今の私じゃ、音に何も言ってあげられない。
本当に弱いのは、私の方なのに。
「ねえ、ゆい。ごめんね。あの時のあなたが、怖かった」
「おと………」
「わかるよ。ゆいだって、つい私にきつい当たりをしちゃったんだなって。元々は、私が無茶をしたのが悪かったから」
「ごめん、怖がらせて………あの時は確かに、ちょっと気がおかしかった」
「ううん、そうだよね。ゆいは私を大事に思ってくれてる。だからだよね。ごめん、このことは気にしないで、行こ」
「あっ……うん」
音はそう言って、さっき合流した時と同じ、底抜けに明るい笑顔を私に向けた。それに対して私も、表情を作る。
交差点を抜けてまっすぐ進んでいくと、突き当たりにT字路がある。そこで私は右方向、音は左方向に進むと家がある。もうすぐ来る一時の別れ、いつもならまた明日、なんて言ってハイタッチをするが、今日はそれをすることはなかった。
「じゃあ、またね………おと」
「うん、一緒に帰ってくれてありがとう。あ、ねえゆい」
「ん?」
「この前理科の実験でさ、糸電話やったでしょ。ペア組んで。ちょうど喧嘩してた時期だったから、私たちは組まなかったけど……」
「自分たちで作って、喋ってみようって実験……」
「そう。最近よく思うんだ、ゆいとなら、どんな言葉を交わしてたかなって。じゃ、今夜は雪が強まるらしいから私はそろそろ行くよ、気を付けて帰ってね、ゆい」
そう言って、彼女は自宅に向かって走り出した。
また明日、その言葉を交わせなかった私はきっと、音と同じ気持ちだ。消えていってしまいそう。本当に明日も二人で、ちゃんと笑っていられるのだろうか。そもそも、私は音に。
「ちゃんと、ごめんねって言えてないよね………」
私がそう寒空に呟いてしまった頃にはもう、音は見えなくなっている。私の家はすぐそこだが、ゆいはおそらく数十分は歩くだろう。
授業で作った糸電話は、私の机の上に置いてある。特にほしくはなかったが、ペアでジャンケンをして勝ったほうが持ち帰るということだった。
私はどこにもいかない、だから音もどこにも行かないでほしい。
そう願った私は、自室へと急いだ。


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