君と僕と水族館と。2        イラスト 山本沙紀さん 小説 奥山結莉乃             

 やはりイルカショーは水族館の中でも人気のイベントなだけあって、前を歩いている人や後ろから聞こえる話し声はどれも、イルカショーを楽しみにしているものだった。
「イルカショーってなんだかんだ言ってはじめてかも。俺」
「うそ~!」
「修学旅行で一回来たことあるんだけど、人がいっぱいで入れなかったんだよ」
「あー、確かに。じゃあ今日は私とたくさん思い出作ろっ!」
 私は彼の手を引いて屋外の入り口に入り、スタッフの人が配っていたビニールのカッパを受け取ると一番前の席に座った。隣に座っていた子どもがイルカのぬいぐるみを持って、ショーが始まるのを今か今かと待ち望んでいる。その姿を見て口角が上がってしまうのを抑えられない。
「ふふっ。楽しみだなぁ」
「水って跳ねるのかな。パーカー、脱いでおいた方がよかったりする?」
「案外、真ん中の席とかの方が水跳ねるって聞いたよ。でも私も一番前に座るのは初めてだから、ドキドキだねっ」
 そんな会話をしているとどこからかアナウンスが流れ、ざわついていた会場が一気に歓喜の声に包まれる。
『お待たせしました! これからイルカたちによる特別ショーを開始いたします!』
 ショーの最中の注意事項や撮影に関するアナウンスなどが流れ、終わって程なくしてポップな音楽と共にイルカたちが出てくる。
「おぉ……!」
 隣の声にちらりと視線をずらすと今日一番の表情が視界に映り、こっちまでうれしくなってしまう。
 勇気出して誘ってよかったな。
 目を輝かせイルカに夢中な彼は、私の隣に座る子どもと同じでつい笑みが零れてしまった。
「……ふふっ」
「……?」
「あぁいや、そのなんていうか……かわいくって」
「わかる可愛いよな! 飼育員さんからの指示を受けながら、こっちにファンサするのも忘れてないんだぜ? イルカってあんなに知能高い生き物だったっけ?」
 声のトーンがいつもより高く、興奮した状態で話す彼に思わず吹き出してしまった。
「ふ……っ、あははっ……、ごめんっ。私が可愛いって言ったの、君のことなんだ……っ」
「…………へっ?」
 一瞬固まったかと思えば、次の瞬間顔が一気に赤く染まってゆく。なんだか今日は、彼の意外な一面を知れた気がする。こんなに楽しい水族館、初めてだ。
「……楽しいねっ」
「……あ、あぁ……そうだな」
 顔を背けながら、彼は頬を指でポリポリと掻いた。私はそんな彼を横目に、イルカショーを楽しむため前のめりになって座りなおす。
 その時だった。
「きゃ……っ」
「うぉっ」
 イルカが大ジャンプを決めて、大量の水が跳ねる。真ん中あたりの席に座っている人はもちろん、案外前の席の人もかなりの水を浴びてしまってカッパを羽織っていたにも関わらず服が濡れてしまった。
「あははっ、結構水かかるんだね」
「大丈夫か?」
「うん、これもイルカショーの醍醐味だからねっ」
「ふっ……そうみたいだな」
 彼が周りに視線を動かすので、私も一緒に見てみる。
「すっごい水かかったね!」
「イルカさん、すごーい!」
 みんな、水がかかったにも関わらず凄く楽しそうだった。目が輝いていて、誰も悲しんだりしていない。びっくりして泣いていた赤ちゃんも、イルカの餌を食べている姿を見ればすぐに笑顔に戻る。
 ほんと、生き物って可愛いし魔法使いみたいだ。
「……来てよかった?」
「あぁ。楽しかったよ。誘ってくれてサンキュな」
「へへっ、どういたしまして」


「寒くないか?」
 ショーが終わり屋内に戻ってきた私たちは、濡れた服や乱れた髪の毛を直すため、休憩スペースのような場所に来ていた。
「さすがにちょっと水かかりすぎちゃったよね。でも大じょう――」
「よかったら、俺のパーカー着るか?」
「…………へ、?」
「…………っ」
 唐突な彼の提案に、思わず声が上ずってしまう。心臓がバクバクと鳴り、顔中に熱が集中するのを感じた。けれど、ドキドキしているのは彼も同じようで。先ほどみたいに顔を真っ赤に染めている。
「……え、っと……」
「…………つべこべ言わずに着ろよ」
「あ、ハイ……」
 一瞬の沈黙ののち、彼は半ば無理やりパーカーを羽織らせてきた。彼の匂いがふわりと舞い、鼻孔を擽る。変に香水とかをつけてない、柔軟剤の自然な香り。
 私の大好きな、匂い。
「……ふふっ、ありがとう」
「ドーイタシマシテ」
 私は袖に腕を通して袖をまくった。
「次に行く前に、お手洗い行ってきていい?」
「おーじゃあ俺も。またここで待ち合わせな」
「おっけい」
 私は彼の匂いが充満するパーカーを羽織りなおして女子トイレに向かう。ショーの後で休憩する人が多いのか、トイレには列ができていて、しばらく時間がかかりそうだ。
「でも、どこも同じくらい混んでるよね……。ちょっと連絡しておこうかな」
 私は携帯を取り出して彼に連絡すると、SNSを見たりして列が進むのを待つことにした。
「あれ……男子の方も混んでたのかな」
 しばらくしてトイレから出ることができたので待ち合わせの休憩スペースに行くと、彼がいなくて携帯を取り出す。もしかしたら気づかない間に連絡が来ていたかもしれない。
「……来てない。もう少し待って――」
「やっほ~。久しぶり~」
「……?」
 空いているスペースに座ったときだった。見知らぬ男性に声を掛けられて顔を上げる。するとそこにはピアスを開けては派手髪の男性が三人立っていた。ニヤニヤと笑みを浮かべて私を囲むように並びだす。
 これ、ナンパってやつなのかな。
 私はなんとなく頭で理解して、すぐさま携帯に視線を戻した。
 けれど、その態度が気に食わなかったのか、男性の一人が私の手首をつかんできて、私は強制的に立ち上がってしまう。
「な、何するんですか……っ!」
「無視したのそっちじゃん。せっかく声かけたのによぉ~」
「……それ男物のパーカー? 今一人ってことは喧嘩でもして別れたん?」
「かわいそ~」
 男性たちが次々と声を上げる。手首をつかむ手に力がこもる。
 痛い。怖い。
 頭では面倒だと思っていても、実際には怖くて足がすくんでしまう。声も出なくて目をつむるしかできない。
「俺の彼女になんか用すか」
 その時、彼の声がしてつむっていた目を開く。飲み物を持った彼が、男性の手にそれを当てて私から手を離してくれた。
「あっつ!」
「そりゃコンポタなんで、冷たいわけないじゃないですか。ちょ、俺たちデート中なんで、恋人のいないあなた方に構ってる暇ないんすよね」
 腕をぐいと引っ張られ、私は彼の腕の中に埋まってしまう。バクバクと鼓動の音が聞こえる。
 彼も怖いのに、助けてくれた。
「行こ」
「う、うん……」
 ナンパしてきた男性たちをおいて、私たちは外へ出た。


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