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曹参最推し人間の独白

現在生きている人間も含めての最推し、曹参。

◾️曹参って誰?
古代中国・秦末〜前漢初期にかけての官吏・軍人・政治家。
前漢を建てた劉邦の地元民で最古参の臣下。
Wikipediaに経歴まるっと乗ってる。
ちなみに史記では列伝ではなく世家に載っているので図書館等で探す時は気をつけよう!

◾️どこがそんないいの?
①ハイスペック人間
とにかく曹参は何をやらせても強い。
秦の時代には獄吏として顔が広く、劉邦が秦に蜂起してから項羽と争った楚漢戦争まで将軍として活躍し、戦後は斉・漢の相国として名宰相と称えられる。
なんか人生ずっと活躍してるんですよねこの男。

※「獄吏って具体的になに?」に関してはこの本が一番わかりやすかったです。

(個人的)古代中国創作スターターセット入り名著

簡単に説明すると法律にめっちゃ詳しくて地方の裁判に関わる人。
この仕事で幅きかかせてたのはかなりのやり手ですね〜

楚漢戦争だけ見てると良くわからんけど、曹参の人生全体を見ると元々法律のエキスパートだった人間が最終的に国政に携わる政治家になるのはかなりわかる。

だからこそなんで途中で軍歴挟んだ?なんで全身に七十の傷を負いながら戦った????なぜ法律家がバーサーカーみたいな戦い方してる?
↑曹参は楚漢戦争中に全身に七十余の傷を受けて戦った。(史記蕭相国世家より)

どんな人生?

置かれた場所で咲きなさいレベル100の男。

②努力家
そんな経歴から想定される曹参はかなりの努力家。
斉の相国(宰相)に任命された時には国中からたくさんの学者を招いて、政治を安定させる方策を教えてもらう。
(↑これ、なかなかできることじゃない。
曹参は皇帝劉邦の最古参の臣下&武官の功績トップ人間。こんなすごい人間が玉石混交の学者(思想家)に礼を尽くして教えを乞うことが出来るか?というと………出来なかったどころか学者嫌いでわざと恥をかかせる人が同時代にいる。そもそも劉邦自体が大の儒者嫌いだから仕方ないね!)
あとで言うけどこの謙虚さも曹参の強み。

…そして先生探しの果てに黄老思想に精通した蓋公出会い、黄老思想を学んだ曹参は『清静の政』という政治の要を会得し、仕事を蓋公に全任せしてサボりながら名宰相と称えられるに至る。
?????????????
斉は曹参のおかげで潤ったらしいです。

③謙虚な性格と優れたバランス感覚
史記・太史公自叙において曹参は『戦功に誇らず、才能に誇らなかったことを良しとして』世家を作られている。
つまりは公式ハイスペ謙虚人間。
好きにならざるを得ない………………

さて、曹参は斉国の相国を勤めた後、漢の相国に就任します。
ここからは超有名なエピソード。
『曹参は昼から酒を飲んで仕事をせず、意見しに来た者には酒を飲ませて酔い潰して帰した。
若い皇帝はこっそり曹参の息子に探りを入れさせるが、方針に口ごたえされた曹参はブチギレて子を200回鞭打つ。
翌日、皇帝が種明かしをしてなぜ仕事をしないのか?と聞くと曹参は冠を脱いで詫びる。
曹参「前皇帝の劉邦と前相国の蕭何がきっちり仕事をして国を作って法律を整備してくれた。先代に劣る我々は余計なことをせずに毎日の業務を失敗しなければそれでよいのでは?」
皇帝は納得し、曹参を許した。』

味わい深いエピソードですね〜泣ける〜
曹参は自分が前任者に遠く及ばないことを認めて、前任者から引き継いだ仕事をしっかり安定させることに注力した。謙虚。
新しい政策を何も採用しないことでコストを削除、大建築や遠征による民の疲労を避けたとも考察されます。

『曹参は黄老思想から学んだ『清静の政』で人民と共に無為の政に休息した。天下はみなその政道を美と称えた。(史記曹相国世家)』

感動的ですね。


で、実際曹参が前任の蕭何頼みでなにもしていないのか?と聞かれると……そうでもない。
⑴曹参が相国任期中に「挟書律など民の福祉を妨害する秦律」が除かれている。
⑵曹参は自分の部下に温厚な者を選び、法の適用が過激で名声を挙げようとするものは退けた。
⑶曹参は他人の些細な過失は全て隠し、丞相府を常に平静に保った。

これらの点から、曹参は『蕭何が秦からスライドさせた厳酷な法を使わせたくなかったのでは?』とも考察されたりする。
後の文帝時代に刑罰がかなり軽減されたので、前漢初期の法は過酷すぎたと思われる。
獄と市(姦人を容れるところ)、民間の自律秩序を大切にした曹参は国政トップの立場で大きな波風を立てることを嫌ったのかもしれない。

ついでにこの時代の皇帝は劉邦の子ですが、母である呂太后が強い力を握っていた時代でもあります。
この呂太后が大の武官嫌い。
(劉邦が崩御した時に古参の武官全員始末しようとした)
野心があると見れば即粛正。皇帝を脅かす人間は先制攻撃で潰す。鴆毒マスター。
ゆえに先に曹参が所属していた斉国王の暗殺未遂までやらかしている。

こんな上司の下に信頼度0でいきなり転勤にされたら……できることも限られてきますね………?
曹参は『飲んだくれて自分無能アピールしながら』、『法を慎重に使う温厚な部下に仕事をさせ』、『国政を大きく動かさず国民に動揺を与えなかった』とも考えられませんか…?

このズバ抜けたバランス感覚も曹参の強み。
前漢初期、色んな人たちが粛清されたりされかけたりするギスギスの中、やたら功績があるはずの曹参がなんかスルッと生き延びて息子も重役に就き、直系の子孫は武帝時代の巫蠱騒動までは栄えた。巫蠱は負けイベ。


④ついでに
楚漢戦争の後、曹参は功績第二位でありながら長安から追い出されて斉の相国になりました。
斉は大きな土地だったので、劉邦が曹参を信頼して任せたとも取れますが、蕭何との派閥争いに負けた左遷であるとも言われます。
しかし、その地で出会った黄老思想と9年に渡る相国のキャリアは確実に曹参の新たな力になったでしょう。
私は曹参のそういうどんな時も腐らずに努力する力、学ぶ姿勢に憧れているのかもしれません。

結論……曹参最高!曹相国万歳!!


…という感じで久しぶりに最推しの話をしました。
正直、曹参については記述がそんな多くないので「わかりません!!」みたいなところもよくある。斉時代特によくわからん。
でも好き。やっぱ曹参が一番かっこいいので。

興味がある方は史記の曹相国世家と宮城谷昌光(著)の劉邦を読んでみてね。

ざっくりとした参考文献

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