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知らない権利
人はいくつもの権利を所有している。そもそも持っていたのではない。社会が複雑になるにつけ、様々な法が整備され、結果的に大量の権利を有することになったのだ。
権利というものを考える時、付いて回るのが逆説的な考え方である。(クリティカルシンキングと言ってもいいだろう)
例えば、子ども達が喧嘩をしたとする。仲裁に入った教師は、何が起こったのかを把握しようとする。そう、この時教師は「自分には知る権利がある」と考えているのである。
頭の中は「この事態をどう解決するか」「保護者にどう説明するか」でいっぱいになり、飽和状態となっている。当然「知る権利」の裏側には「知らない権利」もあるはずだが、それが抜け落ちてしまう。
子ども達の話は続く。次から次へと別の登場人物が出てくる。ある子は前の学年の同じクラスの子、そしてある子は数年前の友達だ。
聞けば聞くほど複雑で、本当に解決しようと思えば、過去に戻らなければ不可能だと、ここでやっと気づくわけである。
この世の中はあらゆることが表裏一体となって進行している。正解は簡単に導くことなどできないのである。
今回の記事の教訓は次のとおりである。
「知らないほうがいいこともあるのだ」