アイドルと田村ゆかりと桃井はること
勘のいい声ヲタならこの2項目に共通するキーワードはすぐに出てくる。だが、反対にアイドルヲタクはそのキーワードが出てきても何のことか分からない、という現象がまさに分断の時代の認識となっている。
それは、中学生の頃、いわゆる投稿雑誌の1ページに載っていた真ん中分けのツインテールに魔法少女のようなフリルの衣装を着た子に目を奪われた。時代はアイドル冬の時代、水野あおいの姿だった。
(今見ると、STUの兵頭葵ちゃんそっくりだな………すき)
当時は、フレンチファッションや裏原といったシンプルかつ大人っぽさとカジュアルを混ぜたファッションが流行する中で、フリルが多い衣装というのは80年代ソロアイドルのイメージを引きずっていて、野暮ったく見える中、彼女はそれを押し通して、2000年に引退する。
ここを境目に、ライブアイドルがコア化して地下に潜っていくという、今の地下アイドルの文脈の重要なポイントになるのだが、肌感でこれを理解している人間は多くはないようだ。
そして、このポイントは多くのヲタクにとっても重要な分岐点になっていた。それが先述した田村ゆかりと桃井はるこである。両者共に自身の活動に水野あおいの影響を述べており、引退コンサートに足を運んだ話など数々の逸話が出てくる。
かねてから、ソロアイドルの文脈はむしろ声優界に持ち込まれたのではないかと考えてはいたのだが、様々な記事を書く中でようやく見えてきた。
【絶対なる王国】
前にも話したが、アニメに特に詳しいわけではない。とはいえ、90年代の第三次声優ブーム真っ直中、Weiβ KreuzとかXとかはそれなりに通っていて、今でいうラノベも読んでたし、あかほり作品も見ていた。多分、世の中では十二分にヲタクの部類だった。
なのに、その時には田村ゆかりを体感していなかったのだ。彼女のデビューの97年というのは、実はモーニング娘。のデビュー年。まさに片足突っ込んだ沼の底なしっぷりに驚いている真っ最中だったと言える。
ただ、常に王国の拡大を感じていた。年々広がるライブの規模、徹底されたパフォーマンス。今よりも声優アーティストという存在が認知されない中で、誰よりもアイドルな衣装を着て歌い続けていた。その内、周囲にも王国民は現れて、その絶対なる強固さを強めた。
王国民に話を聞くと、ゆかり姫の仕事に対する真面目さというのが浮き彫りになる。それは同時に、水野あおいのアイドルであることへのこだわりを想起させる。当時のバラエティはかなり厳しい内容のものも少なくなかったが、アイドルであることを突き通した姿勢というものを感じさせる。
また、音楽性やパフォーマンスは都度アップデートされていて、ベースとしてのアイドル歌謡を守りつつ、その時々の最新の音を取り入れたアレンジとなっているのは、"寛容"についての記事でも書いたが、まさにアイドルという音楽性の多様さに他ならない。ただそれもゆかり姫の声やパフォーマンス、スタンスが一貫しているが故に成立している。
下積み時代が割と長い人ではあるのだが、その後の広がり方を考えると、かつて言われた声優がアイドルの真似事をしているのではなく、その両輪があったからこそ王国の拡大となったと言えるのではないか。
あの当時、キングレコードは絶頂期と言われ、必ず数字が落ちると内部からも声があったにも関わらず、AKBや声優のライブなどで売上げは上向き続けている。その戦略性、資金など様々な要因がファンの数を増やすことに成功しているはずだ。
ライブアイドルというものを紐解こうとした時に、あの大きなアリーナにパンパンに人が入った王国の姿を見る度に、どこで道が分かれたのかと羨ましくなる。だが、それも姫の努力が存在してこそ。そして、それがどうやって彼女に受け継がれたのかも知れば、納得の出来る話である。
【元祖秋葉系】
水野あおいを知った直後くらいには家に自分用のPCがあったのだが、なにせその頃からMacだったので、いわゆるPCゲームはパソコンパラダイスとかテックジャイアンの中の話だった。鍵作品も当時のトレンドとして知ってはいたのだけど。
だから、桃井はるこをはっきりと認識するのはずっと後なのだが、彼女の活動の歴史を知れば知る程、同じ時代にそこにいたことを知る。認識をしていなかっただけで、ゲームラボとかラジオライフとか読み漁ってたのだから、確実にどこかでモモーイの書いてた文も目にしているはずだ。
彼女が描くアイドルは田村ゆかりのそれとは異なる。自らがプレアイドルと名乗り、目にしてきたアイドルをトレースしていく作業というのが、より現在のライブアイドルの形に近い。密接にコアな繋がりを小さい空間で作っていくというのは、彼女自身のヲタクとしての姿勢を語る中にも現れている。
そして、同時に様々なサブカルチャーと連動していくのが、モモーイの歴史の面白さである。屈強な電気街の様子が変貌するのはエヴァ前後とも言われている。95〜6年の初回放送での人気が97年のテレビ東京系列での深夜再放送で爆発する。時同じくして、モモーイはバーチャルアイドルもあいはることして秋葉原の路上でゲリラライブを始める。そう、またしても97年という年に物事が大きく動き出したのだ。
90年代サブカルチャーにはアンダーグラウンドやフェチズムを取り扱ったものも多く、ガロやユリイカ、危ない1号などの雑誌が並ぶ。そこで生まれた概念が”電波系”であり、今考えると統合失調の典型的な症状な気もするが、狂気じみた妄想を持つ人々の姿があぶり出された。
その延長線上と、宍戸留美を発端とするアイドルとアニメ、ゲームの境目が溶けて、電波ソングと呼ばれるものが生まれることとなる。桃井は同時に多方面で「萌え」という概念を伝えており、これがUNDER17としての活動と結実していくこととなる。
シンセポップとアイドル声と中毒性の高い楽曲というのは、今日、kawaiiEDMという独自のジャンルに発展しているし、Perfumeの音楽性というのもこれに近い。(実際、ひらがな時代に曲もやってるし)他の国の音楽では絶対に起こりえないことがここで発生していた。
秋葉原という土地、萌えという文化、アイドルという存在で見れば、ディアステージだったり、モモーイもプロデューサーに名前を連ねるアフィリアであったり、AKB48などにも繋がっていくように、モモーイの歴史はアイドルの歴史に大きくリンクしていくのである。
【アイドル×声優】
そして、10年代に入ると、アニメ側がアイドルを描く作品が増えると同時に、アイドルのような活動をする若手声優が増えていく。代表格とも言うべき上坂すみれは桃井はるこに影響され業界に入り、小倉唯のスタンスは新時代のお姫様である。
アイドルの側からも声優に憧れる人間はどんどんと出てきていて、指原莉乃がプロデュースする=LOVEは代々木アニメーション学院とのコラボによって誕生した。
この流れは今後も加速していくに違いない。プリキュアのメインをえいたそがやるとなったのもそこそこ驚いたが、少女達にとってアイドルも声優も同じようにキラキラした存在になったのだろう。
だからこそ、今のアイドル業界のビジネスが少し寂しく思う。確かに光り輝いている声優も一握りかもしれないが、音楽環境としては声優業界の方が良い気がするのだ。アイドルを目指す子が1人でも輝けるヒントというのは、ここにあるのかもしれない。