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女子プロレスに足りないのは、SNS時代の語り手ではないか

スターダムのSNSに関する情報を集めていて思ったことなのだが、団体は細分化、選手は増えていく一方で、SNS上で情報を得るためには能動的にならざるを得ないのではないか。いや、逆説的に言えば、今のインターネットというのは、自分の選択した欲しい情報だけ(あるいは、そこからAIが類惻する情報)を入手出来る、というのが実情だ。

Twitterでいえば、そのアカウントをフォローするというのが一番簡単な方法だろう。しかし、そもそも自分の選択した欲しい情報だけ、つまり、情報の分断が発生している世界では、そこに至るまでが困難なのではないか。


具体的な話をすれば、SEAdLINNNGで結成された中島安里紗、下田美馬、真琴、朱祟花、Mariaの新しいユニットが誕生した。女子プロレスを長い事見ている人ならこんなにも出自も、キャリアも違う人間が「自分達は下品だ!」と言うキーワードで結託するなど誰が思っただろうか。しかし、こんな情報も例えばスターダムやアイスリボンのファンには届かない話。レディゴンがあった時代は良かったなぁ、という話で終わらせたくはない。このSNS時代に合った語り手が必要だと思うのだ。

個人的に、プロレスというものは、それぞれの選手のパーソナリティ、欲求が織りなす物語だと考えている。こうして文章にするのも、フミ斎藤さんの「ボーイズはボーイズ」の影響が非常に強い。かつてであれば、専門メディアの記者が選手個人では足りない言葉のところを時には引き出し、時には煽って文章にしてきたわけだが、その専門メディアがほぼ機能していない以上、誰がそれをするのかという事を考えねばならない。


SNSというものが、個人の情報発信に長けてるというのは間違いない。だから、選手が自発的にそれをしてくれるのが一番いいのだが、日本のレスラーというのは、とかくこれが苦手なのだ。リングの上の技術に関してはタフでハードで独創的だ。しかし、ではなぜ戦うのか、ユニットを組むのかというところを改めて表現しようとすると、非常にチープになる。

試合後のコメントにしろ、調印式にしろ、SNS、ブログ、Twitterにしろ、リングの上で戦う以外のものの多くは言葉がつきまとう。この言葉を単語、行のレベルではなく、連続したものかつ観客の視線を奪うために使うための技術というものをトレーニング出来ていないのではないだろうか。

もしくは、本人がそれをしようと思っていたとしても、情報の分断が発生する今のSNSでは、その連続性を見せるに至ってないのではないだろうか。


先ほど話したユニットの発端で言うならば、6.29 新木場のセミファイナルで奈七永、水波 vs 中島、笹村の一戦で中島が奈七永の入場を急襲、椅子などを乱打する中で、世志琥と分裂状態にあった朱祟花、真琴が中島の手助けをしたことから、試合後、奈七永、笹村から"下品"と言われたことに始まる。

次の大会で、中島と対戦する下田美馬を”最上級に下品”と評したのは奈七永なのだが、この流れをSNSで追おうとすると、中島、下田のTwitter、中島のブログ、プロレスTODAYの記者会見記事、女子プロレスマガジンの6.29新木場結果記事まで自力で辿る必要がある。そんなのよほどの好き者だ。


そこを多くの団体は、動画のメディア化などを進めているという状況なのだが、さらに外側の見たことのない人にリーチをする仕掛けとしてはまだまだ出来ていないというのが、昨日の話である。

試しに、団体名や選手名でGoogleで検索してみても、個人のブログのようなもので流れを書いてるような代物はなかなか出てこないし、Twitterのタグを追っても写真をアップしてくれている人がほとんどだ。

会場に通ってるファンは目の前で起きていることなのだが、それは1000人に満たない人を相手にしているのでしかない。新木場に至っては200人程度の話となってしまう。地方興行をやるような団体になったら、そのカードの意味は誰が見つけるのだろうか。

インターネットというものが始まって30年近くが経ち、ソーシャルネットワークは常に変化しているが、しかし、一方でそれを作った人々がこれが分断を生んでしまっていることに気付き、嘆いているのも事実だ。インターネットの中の分断と言うと、社会構造や政治的対立を指すことが多いが、インターネットの本質は情報をどのように扱うかである。SNSによって情報そのものが分断され、集合しなくなった社会の真っ直中にいるのだ。

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