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ガワとナカ 仮想空間という逃げ場について考える

Vtuberの流行に対して、個人的に期待していることがある。それは、アバターを着る世界が一般化することだ。今のスマートフォンと同じくらいデバイスが一般化して誰でも着れる世界が来たら、おそらくそれだけで救われる人間がいると思っているのだ。


【ガワの溶けた世界】

人は様々な印象において容姿から得る情報を元にしている。男性、女性、かっこいい、かわいい、身長、体重、体型、人種、肌の色………そして、それを元に人を分断している。アバターを着る世界が一般化したら、持って生まれた容姿の属性さえ書き換えることが出来るのではないか。

例えば、小さい頃に事故で大きな火傷の痕を追ってしまい、それが心理的な要因となって上手くコミュニケーションが取れない子も、アバターで新たな身体を得たら、本来の自分らしく振る舞えるのではないだろうか。

あるいは、LGBTQとして、自分の身体と内面に不一致を感じてる人は精神的に負担を抱えている場合が多い。そういう人も自分の理想に近付ければ、どこかで感じている疎外感を和らげる事は出来ないだろうか。

コスプレをするという行為も、これまで地方の学生は現場に行くまでの費用、そこに行くための言い訳、荷物諸々の難しいポイントがあった。これだってスマートフォンと同じくらいデバイスが広まったら、したい格好を自由にすることは不可能ではなくなる。

というのも、既にVRChatの世界では先行しているものの、日本国内でのアクティブユーザーが1万人ほどで、ヘッドセットやらハイスペックPCが必要になるなど、日本人の環境に見合ってないというのが現実のところだ。

動画をみてもらうと分かる通り、人の形ですらないものすら許されるわけで、その多様性は現実の身体を伴うよりももっと緩いものではないだろうか。

一般的な生活をしていると現実社会に溶け込むことが全ての正解であるかのように振る舞われるが、エロの視点に変えてみると、もっと人というのは複雑で様々な面を持っていることが分かる。何に興奮するか、ということ1つを取ってもより拡張された意識を欲求として持っているのである。簡単に言えば、動画サイトのカテゴリっていっぱいあるけど、たまに理解出来ないような代物もあるよねという話だ。個人的には海外の子供服を着て大きな風船ではずむカテゴリが一番分からない。

つまり、本来、人というもの自体が、もっと複雑で様々な面を持っている生物であるものをなんとなく国や民族という捉え方をして、まるで統一された思想、または政治と結びつけているが、アバターを着るという行為がそれすらも全て溶かしていくのじゃないかということである。

 

【セカンドライフ以後】

同じような概念で語られていたのが、セカンドライフだ。2003年、オンライン上で仮想空間が存在し、商取引も想定されていたが、これは頓挫してしまった。1つのワールドに50人しか入れないなど当時のサーバー環境などが影響してた部分が大きい。

今で考えれば、回線速度の高速化、安定化ももちろんだが、国内の事情でいえば、GTAのようなMMORPGの存在によって仮想空間を楽しむ行為の一般化は加速度的に進んだように感じる。

そこに、VTuberの流れが来た事で、アバターをどうやって手に入れるか、流通化するかということものが整備された。同時に仮想通貨という手段が生まれたことで、その空間内での送金もより手軽になってきているというのが現状である。

現在のVRChat内でも、バーチャルマーケットというのが開催され、3Dモデルの販売などが行われている。今はイベントという形だが、これがより一般化していった時にまた別な商流が生まれる可能性がある。

初期のSNSにとってアバターの服装というのはかなりの金額を稼ぐきっかけとなった。特に30代以上の女性からも根強い支持があり、新作が出る度に大きな動きがあった。

現実の洋服というのはファストファッション化して、大量生産の時代を経て、また変化を始めようとしているが、仮想空間の世界も同じ格好を続けるのではなく違う服に着替える需要が生まれれば在庫不要の新しいビジネスになりえるのではないか。

 

【最も身近な逃げ場=コミュニティを作るべき】

この国の10代の死因の1位は自殺である。とかく家、学校以外の逃げ場所がないと言われている。にも関わらず、いのちの電話の10代の利用率が極端に低いらしい。これまで成立していたはずのセーフティネットが機能していないのだ。

自分の経験からしても、インターネットというものの存在がなければ成立していない部分は大きくて、それが本来気にしなくてもいいようなことを日常にしている部分もまたあるのだけど、もしもアバターを着替えるという行為が本当の自分を定義出来たら、あるいは肯定出来たら、自分を捨ててしまうという選択を取らずに済む子は減らないだろうかと思う。

ガワ、容姿を変えるということは、つまりナカで向き合う要素が大きくなる。自分の置かれている様々な状況から切り離された仮想空間で向き合う機会が増えれば、コミュニティとの結びつきはもっと強くなるはずだ。

ただ当然、インターネット空間ゆえの難しさもある。法律の問題、犯罪行為の認定、警察がどう介入するのか、今は地元警察署に届け出るのが一般的だが、どこかのタイミングでそれを飛び越えて対応しなければいけない瞬間が訪れる筈。

 

そんなことを考えながら、今日も暑いなと思うのである。

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