メルマガ傑作選シリーズ 「『嵐電』短評あるいはロカスト俳優論」 イトウモ
LOCUST+の前身として発行されていた「LOCUSTメルマガ」。そんなメルマガ時代に配信された文章の中から選りすぐりの一本をお届けする「メルマガ傑作選シリーズ」。今回は、副編集長であるイトウモが寄稿した「『嵐電』短評あるいはロカスト俳優論」をお届けします。ロカスト編集部を俳優として捉えながら、映画『嵐電』について語ります。ぜひ、お読みください。
「ロカスト」というコンセプトの発案者渋革まろんが、かつてこの活動を「演劇」に例えた。もしそうならこの旅行と雑誌の刊行を営む私たちはその劇を編む俳優なのかもしれない。私は学生時代に渋革とほぼ同じ頃たまたま京都のそれぞれ別の場所で学生演劇に参加していた経験がある。当時はプロの俳優を目指す人たち、そうでなくてもただただ舞台に立つこと、カメラに映ることになにかの喜びや価値を見る人たちが身近にいた。私が俳優と聞いて思い出すのがその人たちだ。なにがそんなに彼ら彼女らに活力を与えるのか。脚本を書くことへの興味から演劇に関わった私には、しばしばそれがとても不思議だった。
『嵐電』(2019年、鈴木卓爾監督)という映画を見返して学生時代を過ごした京都の懐かしさと同時に、かつて抱いた俳優の奇妙さへの好奇心が蘇った。
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