【無料公開】モンゴル食紀行/食思考 第1回 異文化でも餓死しない 太田充胤
9月上旬、9日間の夏休みをとって、妻と二人でモンゴルを訪れた。
妻もぼくもそれなりには旅慣れているほうなのだが、モンゴルでの旅行がどんなものになるのか、出発前にはさっぱり想像がつかなかった。
なにしろ国土の大半、草原と砂漠が広がるだけの国である。人口密度が世界一低いらしい。Google mapを見ると、首都ウランバートルの周辺だけがいわゆる都市のようになっていて、あとはなにもない。ウランバートルの街についたあと、どこでどう過ごせば面白いのか、そこへはどうやって行き来するのか、等々、これまでの旅の経験からはどうも推し測れない。
もちろん『地球の歩き方』は購入したものの、その情報が他の国とは比べものにならないくらい薄いのである。ウランバートルについてはさすがにある程度の尺をとって書かれているが、その他の各都市・エリアがたった2,3ページ程度の紹介だけで終わっていくうえ、その都市とかエリアも国土面積に比してかなり少ないのである。それでも商業的にはある程度、書物としての厚さを確保しなければならないらしく、後半の100ページあまりがモンゴルの歴史や生き物についての教科書的なまとめに割かれている。
あとから理解したのだが、モンゴルは遊牧民の国である。遊牧民は定住しない。放牧のために、人口密度は低いほうがいい。彼等は基本的に大きな街を作らないし、したがって街と街を結ぶ交通網を発展させる必要もない。人口約150万人を抱えるウランバートルはモンゴル史において極めて例外的な街なのであり、そもそもウランバートルとてあんなに大きくするつもりは誰にもなかったのだ、という話もあとから聞いた。
とはいえ、観光客が馬で自由に移動するわけにもいかない。色々調べるうちに、観光客がウランバートル外に出るには基本的に車をチャーターするか、ツアーを頼むしかないということがわかってきた。困ったことに妻もぼくもツアー会社を利用するのが大嫌いなのだが、現地でドライバーを探して雇うという計画の見通しの立たなさも、日数の限られた旅行では避けたい気持ちがあった。
どうしようかと思っていた矢先、幸運にも妻の友人の先輩にモンゴル人の元留学生がいることが判明した。なんでも日本の大学院で経営学を修めたあと、モンゴルに帰国し、日本人向けの乗馬クラブを起業したという変わった人物らしい。Facebookで彼と連絡をとり、モンゴルに行きたいこと、乗馬をしてみたいこと、砂漠に行ってみたいこと、等々お伝えしたところ、あれよあれよという間に旅程を組んでくれた。
彼、Munkhbayar Budjavさんという名前らしいのだが、日本語にはない音でついぞ読めないまま帰国した。留学時代に使っていたニックネームで「ムギ」さんと呼ぶように言われ、ムギさんと呼んでいだ。このムギさん、モンゴルで遊牧民として生まれ育ち、インテリで、かつ日本の文化も肌で知っているという、異文化交流を絵に描いたような人で、彼からモンゴルの食についていろいろなことを教わった。
そう、ここでようやく本題に入るわけだけれど、日本となにもかもが違うモンゴルを訪れてみて、一番驚くことが多かったのが食だった。体験したことをきちんと文章に残しておこうと思い、ロカストのメルマガを借りることにした。今回から数回にわたり(たぶん)、モンゴルの食紀行/食思考をお届けする。
さて、「モンゴルを訪れてみて」と書いたが、実際には出発前からずっと食のことを考えていた。ムギさんの登場によって旅程と交通の不安が完全に解消し、残る大きな不安は食事のことだったからである。
ガイドブックやブログでモンゴルについて調べると、どこを見てもかならず書いてあるのが食の貧困である。モンゴルの食事は不味い、それゆえ滞在が辛い、と、ざっと目を通した範囲では絶望的な体験記が多かった。
ひとつには、野菜がとれない風土と遊牧というスタイルゆえ、モンゴル人は基本的に肉、乳、小麦粉を食べて生きてきたということがある。このバラエティの乏しさから、日本人の観光体験は「一生分の羊を食べました…」とか「また羊かよ…」といった嘆きとともに語られる。乳製品は乳製品で、基本的に発酵食品なので慣れないと辛いらしい。
羊の肉はどちらかと言えば好きなのだが、こうまで書かれていると羊肉さえもあまり美味くないのではないか、という不安にも襲われる。出発前にかなり懸念していたのは、現地で腹を満たせるものがほとんどないのではないか、そして野菜を食べることができず精神に異常をきたすのではないか、という点だった。現地で飢餓に陥ることを心配した妻は、出発前日、日本のお菓子や野菜ジュース、インスタント味噌汁、パック入り野菜スープなどを大量に買い込んで、トランクいっぱいに詰め込んでいた。
実際はどうだったか。結果から書くと、ふだんは気をつけないと体重がどんどん減っていく僕が、帰国時には3kgあまり太っていた。
ムギさんの組んでくれた旅程は、7泊のうちウランバートルで4泊、草原の乗馬キャンプで1泊、砂漠のキャンプで2泊という旅程だった。
羽田を昼過ぎに出て、ウランバートル空港に降り立ったのは夕方。ムギさんが手配してくれた運転手さんに、ホテルまで送ってもらった。出発の直前まで別の作業に追われ疲れ切っていたので、その日はホテルのルームサービスで済ませることにしたのだが、ちょうどホテルの隣にスーパーマーケットがあったのでまずそちらを物色してみることにした。
行ってみて驚いた、スーパーには普通に、生野菜売り場があるではないか。
根菜から葉野菜、果物まで、見た目には日本のスーパーと遜色なさそうなものが並んでいる。もちろん肉は豊富に置いてある。誰が買うのか知らないが、なんと調味料まで日本のメーカーのものが、日本語のパッケージのまま並んでいる。魚はさすがに見かけないが、これなら日本とほとんど変わらない食事が作れるのではないか。ホテルにキッチンがついていれば試してみたのに、と残念な気もしながら、少なくとも餓死することはなさそうなのに安心して、ビールとチョコレート(どちらもGolden gobiというラクダのマークのメーカーだ)を買ってホテルに戻った。
ルームサービスのメニューは一般的な洋食が中心だったが、”Traditional”というアイコンがついたものがいくつかある。そのうちのひとつ、Khuushuurというのを頼んだ。日本語では「ホーショール」と読む。小麦粉の生地で羊の挽肉を包み、油で揚げたものである。大きくて平べったくてしんなりした羊の揚げ餃子だと思ってもらえればいい。あとで確認したら、ろくに読まなかった『地球の歩き方』でも推されているレベルの定番名物料理だった。
モンゴルに着いて初めての、羊料理との対面である。これが不味かったら、僕は痩せこけて帰国することになる。不安と期待半々で口に運ぶ…あれ、美味いぞ?
困ったことに、モンゴル料理は美味かった。すごい油の量で早々に満腹になってしまった妻を横目に、僕は3枚のホーショールとその他諸々(忘れた)の料理を平らげ、お腹をパンパンにして眠った。どうやら状況は、事前に仕入れた情報とはかなり違っているらしい。(つづく)