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LOCUSTコンテンツガイド(美術2) ー「購入した作品」評(星川あさこ「壁」) 伏見 瞬

先日、相模原のパープルームギャラリーで開催された、星川あさこ個展『ファンタジー・ホスピタル』に伺った。

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 「星川あさこ」はアーティスト然とした自意識を感じさせない存在だ。今回の展示も、外側に自己を誇示するというより(自己顕示が必ずしも悪い心性だとは思わないが)、ユーモアと病とかわいらしさと息苦しさが渾然と同居する内側へ、訪れた人を自然に誘うものだった。ファンタジー・ホスピタルという言葉が、その世界の在り方を巧みに捉えている。どの作品にも自分の感受体を刺激するものがあったし、ピンクの照明、中心に置かれたベット、端に積まれたいいちこの空き箱の山など、作品以外の物体も駆使して念入りに構成された展示デザインにも感銘を受けた。僕は展示の後に三点の作品を購入したのだけれど、今回はそのうちの一点から受ける力の有り様を、言葉に記したい。

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 さっきから、それをずっと眺めていた。間近で見たり、手に持ったときに触れる部分の感触を確かめたりしていた。作品名は「壁」という。30cm×20cmほどの紙の台紙の上に半透明の白い樹脂が撒き散っており、下層には白絵の具の固まりとペンで書かれたような黒い線が無造作に飛躍している。樹脂や絵の具がまとまりきらないまとまりを形成しつつ、あいだを線形の細い樹脂がつなぎ合わせていて、その様が、菌の繁殖を観る者に連想させる。ほのかにピンクの染みも見えている。このピンクは星川あさこ作品に頻繁にみられる色で、実はかなり特殊な方法で染色しているとパープルームのあんどーさんから聞いたのだけど、詳細は忘れてしまった。物体は手に取ってみるととっても軽くて、表面にふれると少し堅くて、樹脂のでこぼこが何らかのメッセージを語っているように思えてくるのだが、こいつは多分本当になんらかの言葉にならないものを伝えてようとしているんだと思う。
 

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(筆者が購入した「壁」の表面アップ)


 星川あさこを僕が知ったのは七年前くらいだ。twitterで、不思議な女の子のアイコンのアカウントにフォローされて、それが星川あさこだった。当時は実体感のない、かわいいおばけのような存在で、実際に息をして生活している人間と結びつかなかったし、作品を作っていると知ったのもだいぶ後のことだった。本人にお会いして話もして、作品購入のためにやりとりをした後のいま、それでも、「星川あさこ」はいつの間にか消えてしまう儚いまぼろしなんじゃないかと、僕は感じている。

 「壁」と(おそらく無造作に)名付けられたこの作品と共にいると、なぜか安心感を覚える。同時に、楽しくなる。表面の模様を目で追っかけながら、「細い線の固まってる感じが納豆みたい」とか「飛び散った黒が海苔を連想させる」とか、そんなことを考えている間に時は過ぎていて、充実していたような、なにもなかったような、どっちつかずの気持ちを抱いていることに気づく。普通に「生きている」と言われるような生活に嵌まっていると消えてしまう類いの「生きている」時間があって、星川あさこの作品に触れているとそういう時間の中に入っていける。それがきっと楽しくて、安心する。「壁」に触れているときだけ生きている、すぐに消えてしまう自分がそこにいることを発見する。
 この儚い物体と、長く付き合っていきたいと思う。

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