ロカスト日記(4/8〜4/21) 渋革まろん
異常事態に人が置かれる時、まず言葉から失われるのは個人の具体性です。大きな現象は人々を共通の渦の中に飲み込みます。誰もがその渦中にいるがゆえに、誰にでも理解できるような単純で抽象的なイメージと言葉ばかりが流通し、代わりに、具体性を伴った言葉はふさわしくないものとして切り捨てられます。コロナウィルスとも日本政府の対応とも関係のない、誰とでも共有できないものは、個人的な日記や心の奥に消えていく。けれども、僕らがインターネットでのやり取りに求めているものは、共有できないものを共有する試みではないでしょうか。卑近な例かもしれませんが、誰にも言えなかった悩みや趣味を誰かと共有できることこそが、インターネットで人々が物理的距離を超えて繋がる中で起きた最良の喜びではないでしょうか。その体験が、僕にとってはネットにおける最大の”革命”であったと思います。
今回LOCUSTでは、編集部数名の日々の記録を公開します。もともとLOCUSTは、異なる立場や異なる趣味嗜好を持つ人間が”群れ”となる中でそれぞれが変化していく現象を、活動のエネルギーとしてきました。今回のコロナウィルスの流行に端を発する混乱の中で、大きな”群れ”の場に組み込まれた我々(ロカストのメンバーだけでなく、社会を構成する人々全てを含む「我々」です)は、具体的な生活や思考の違いを共有することで、自分自身を大きく変化させるような”好機”に恵まれたと感じます。具体的な個人の体験の言葉が、非常事態の渦に飲み込まれている時にこそ、より豊かな共有をもたらす。僕らの間に生まれた関係が、僕ら全員を変えていく。LOCUSTはその可能性に賭けるために、それぞれのささやかな日々の記録の”群れ”を、みなさんと共有します。
LOCUST編集部 伏見瞬
4月8日(水)
朝から腹痛がする。ぼんやりした頭で、ガラスに反射する木々の揺れを眺めている。いよいよとなったとき、うずくまっている時間を悪いものだと考えない。耳鳴り。生きているだけでいいじゃないかという文字を見て吐き気がする。しっかりと踏みとどまっている。うつ伏せに寝そべる。板になると私である。メランコリックな感情が制御できない。ある日突然、確かに踏みしめていた大地が薄氷に変わってしまう。恐る恐る歩いていると、日々が割れる。地面にあがろうともがくほどに―ひとはもがくのだ―沈む。
家のなかにいることで、どうしても鬱々とした感情が増していくので、気晴らしに外に出ることにした。また昨日行ったカフェに足を運んでみると閉まっている。臨時休業。「政府による緊急事態宣言発出を受けまして以下の期間は臨時休業致します。4月8日(水)〜5月6日(水)」
仕方がないので、周辺をぶらついていると、チェーン店ではない個人経営らしき喫茶店を見つけた。そして、なんとここは喫煙可である! 喫煙可である! すばらしい。そう、個人経営のお店は、喫煙可能ステッカーを申請すれば、こうして法改正以前のままで営業することができるのである。
喜び勇んで店内に入り、ランシエールの『不和あるいは了解なき了解』をリュックから取り出したところで、店主からひとこと。「うちは2時間で出てもらうから」。はい! 当然そんなことはわかってますよという顔をしながら、内心の落胆を隠せない微妙な声が出る。おとなしく、オムライスを頼んで、食べて、出た。
午後からは、また吉祥寺に出かけて、古書防波堤へ。先週は開いていた家具店や雑貨屋も軒並み閉まっていて、さすがに人通りも少なくなっていた。デリダ『赦すこと:赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの』などを買う。
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