家族と化学反応
【書生】とは
日本では主として明治・大正期に、他人の家に住み込みで雑用等を任される学生を意味した。
・書生側は→家賃の代わりに簡単な家の手伝い(掃除や商売上の雑務、清書等など)
・受入れる側→地元出身のインテリ書生を抱えることはステータスの一種であったこと、また、書生が中央官僚などになった際には、人脈から多様なメリットが生じるといった打算的な考えを持つ者も少なくなかったとされる。
といったWin×Winの関係であった。
そして、もう一つの利点があったと推測する。
それは家族以外の立場の人が入ってくることで、家族以外の客観性を得られるということだ。
違う人からの影響は大きいと思う。
家族にこどもが居れば、兄弟とは違う考え方て、家族とは違う相談相手になったり、知識を教えてもらえる。
家族の中では当たり前のことが、実は違っていたことに気づけたり、反対に書生さんも、新しい気づきがあったりと、良い関係があったと思う。
家族+書生=家族では起きない化学反応が起きる
富のある人が困っている若者を助ける。
これこそ本当の富の分配である。
書生さんは、お世話になっているので、勉強に身が入る。
勉強を辞めるにしろ、不義理を欠く以上は、受入れ側に理由を話さないといけない。
本音を話すこと、自分の意見を言う相手には、恩義を受けた人が最良だ。
自分を理解してもらっているので、理由をわかってもらえるからだ。
社会に出て、上司や社長に辞表を出すより、ハードルは低いと思う。
現代では、知らない人への恐怖が大きいので、この問題をクリアできるのであれば、書生さんは良い文化だと思う。
クラブハウスのような、招待制(身元の保証)のような仕組みで、運営できないか思案している。
大家族のときは、じいちゃん、ばあちゃんの話が疎ましくなり、核家族になった。
そして、父や母の話が嫌になり、単身となる。
月日は流れ、祖父母も両親も無くなり、単身から孤立へと変わってくる。
一人は動きやすく、気楽でよい。
けれど、人との繋がりがなくなる。
最初は、繋がりが煩わしかったけど、歳を重ねると、繋がりを必要としている自分がいる。
結局、どこかで人との繋がりが必要になってくる。
個人の差はあるけれど、繋がりの数は人それぞれ。
【人とつながっている】という事だけは、重要なってくる。
家族、会社、趣味などの環境以外で、自分の居場所があれば、もう少し孤独から逃れられると思う。
書生は、そんな自分のもう一つの居場所である。