たちばなゆう

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今日の断片3 

<1898>  何が悪いかを決める者がいる。その者が正しいさを常に持っているは甚だ疑問だ。 <1899>  抵抗しないように歯向かわせないように、それでいて働いてくれるよう人生は調整されているのだろう。 <1900>  目に見えるものだけに私たちを固定させようとしているように感じる。 なぜ目に見えないものは無いと断言出来るのか?  完全に無いと誰も証明していない。プロパガンダによってそれにコメントすると仲間はずれにされてしまうのではないかという恐怖に苛まれている。  だか

    • 今日の断片2

      2024年8月16日(金) <1877>  どうしようもなく人はなにもしなくないのでは? 何もしたくないから、働いて死んでいく。 <1878>  人間のあらゆる行動がとてつもなく嫌いな人間がいる。 何をしていても嫌なのだ。生きている人に対しての嫌悪がそうさせるのだろう。自分と考えが違う者に我慢が出来ないのだ。 <1879>  したいことに障害が発生するのが人間の生活なのだろう。 障害を経験することが人生なのだろうか?

      • 今日の断片1

        2024年8月15日(木) <1874>  焦るのはやるべきことをやっていないから。 だからこんなにざわざわしているのだろう。 <1875>  やるべきことは、本当にやるべきことなのかはあとになってしか わからない。 <1876>  社会に貢献することが正しいとされているが、 まずは自分に仕えること。自分が自分に仕えることを忘れてならない。

        • 2023年6月15日『後悔』

           火曜日に世話になったプログラマが急死した。 最後に会った先週の金曜日。 いつも通りめちゃくちゃ元気で、モニターの先で笑っていた。 煩かったので帰り際、少し邪険に扱ってしまった。 それが会話をした最後になった。  月曜日に体調不良で仕事を休んで、そのまま。 死因はコロナとされたので、通夜も無く今日の朝火葬。 葬儀は家族葬で送ることになったので、 お別れのひとつも言えずに今に至っている。  あたりまえのことだが、人はいつ死ぬか分からない。 そんなこと、こどもだって知っているの

          2023年6月14日『83Kg→58Kg』

          ※この方法を試して問題が起こっても一切責任を負いかねます。 自己責任です。体とよく相談してやってみてください。   2020年末、気がついたら83kgになってしまっていた。骨太だったら 絵になる体重だが、わたしは骨が細い。これはまずい思い痩せることにした。  太っているとき、着飾ることを諦めてしまい、痩せてからちゃんしようと思っていたら、どんどん雑になってしまっていた。これはいんか。  ではどうやって痩せるたかというと断食を選んだ。運動も考えたが長続きさせるのは難しいだろう

          2023年6月14日『83Kg→58Kg』

          2023年6月10日『信じることと、否定こと』

           ぼくたちは多くのことを信じて生きている。たとえば地球は丸いとか、 太陽は東からのぼるとか、一万円は一万円の価値があるとか。  多くの真実を共有することによってぼくたちの社会は成り立っている。    だけど、信じていることが明確に否定されたら?  なかなかその事実を受けいれることはできない。人は最初に信じてしまったことの呪縛から抜け出すことはなかなか難しい。特に自分が大切にしていることだったり、周りの人が信じていることは事実を曲げて信じることを突き通してしまうことがある。

          2023年6月10日『信じることと、否定こと』

          2023年6月9日『ひとり』

           孤独は忌いされるものだ。 だれかと一緒にいない人を見ると心がざわつく。心配になる。 だが当の本人はひとりで十分で穏やかにその時間を過ごしていたりする。 だれかと一緒に居なければならないことはない。  孤独と思われている人は他人に恐怖与える存在なのかもしれない。 何を考えているか分からない。何をしてくるか分からない。  だから、誰かと一緒にいて自分には敵意はないことを証明し続けなればなない。人はそれを一生続けていく。  他者は安らぎであり不安なもの。他者との関わりは楽しい

          2023年6月9日『ひとり』

          2023年6月8日『ごはんを食べて大きくなってけど?』

             昨日何食べたっけ? 昨日? 野菜ジュースだけだね。いま断食中だからね。それくらいわかるよ。じゃあ1か月前何食べたっけ?   これかも? とは言えるけど、ほとんどの人は正確には覚えていないだろう。これが1年2年と遡れば印象に残っている日以外の食べ物は何ひとつも覚えていない。    一説には人は体験したすべてのことを覚えているそうだが、カレンダーを見ながらこの日は何食べたっけ? と、一日づつ確認していけば必ずどこかではっきりしなくなる。  これは食べ物だけではない。 日

          2023年6月8日『ごはんを食べて大きくなってけど?』

          2023年6月7日『はたらいて、はたらいて、しんでいく』

           多くの人の一生は現在ほとんど仕事に費やしている。 なぜ働かなければならないかと言えば、生きるため。  現行の社会システムで自尊心とそれなりの豊かさを享受したければ、労働に自分の時間を差し出さなければならない。  労働=遊び。という状況が築けていれば、それは豊かたことだ。だが、ほとんどの人は嫌とまでは言わないが、僅かな不快さを持って、まだ水曜、やっと木曜日! と、金曜日の夜の息継ぎの夢見ながら社会システムの海を潜水している。    ひと昔は定年退職したら自由に遊んで暮らすん

          2023年6月7日『はたらいて、はたらいて、しんでいく』

          2023年6月6日『重要なことって?』

           一般的に人生において重要なことは、金、地位、自由、人間関係だろうか? 主にそういうことを望んでひとは生きてる。いわゆる価値ある人間をめざして日々をを過ごしている。その価値はどこから来ているものなのだろうか? たぶん、なんとなくみんなが求めているから求めてしまっていないか?  私たちには『識別力』が与えられている。ヴェヴェカーってやつ。 一度自分の求めているもの、持っているものを仕分けする必要あるのかもしれない。この断捨離はなかなか骨がおれる。

          2023年6月6日『重要なことって?』

          2023年6月5日『寸鉄人を殺すというわけでもない』

           これから短い、地下鉄で言えば一駅分くらいで読める言葉を書いていこうと思っています。気ままにね。  自分の体は自分だけで構成させているわけではない。 記憶や家族、友達、知り合い、見知らぬ風景として他者。そしてそれらを取り巻くあらゆる有機物、無機物。これらに結び付けられてはじめて自分を自分と言える。ひとつの体が自分というわけではない。 そんなことを思えば、私というこの不可思議な現象を違う側面から見ることができるかもしれない。  あなたの隣にいる人はあなたの何なんだろう?

          2023年6月5日『寸鉄人を殺すというわけでもない』