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センタリング(1105字)

 ボールを足先でちょこんと前に蹴り出し、マッテオはドリブルをはじめた。自分のリズムを作るために、時折シザースを混ぜながら徐々にスピードを上げていく。右利きの場合はどうしても右足でのまたぎが多くなる。駆け出しのころに先輩に注意されて以降、意識して左足からシザースをはじめるようにしていた。調子が良いときは転がるボールと歩幅の距離が常に一定に保たれ、どこにボールがあるか感覚で正確に把握することができた。そして、今日はまさにそんな日だった。サイドを駆け上がると、クロスを上げる体勢に入る。左足でピッチを強く踏むと、スパイクのポイントが芝とがっちり噛み合い軸足が固定された。力を抜いた右足に腰の回転を使って勢いをつける。右足が振り下ろされ、親指の付け根あたりで衝突球インパクタ・ボールの芯をとらえた。たとえ音のない空間であっても、ボールの芯をとらえたときには的を射抜いたような心地良い音が聞こえる気がしていた。
 クロッサーとしてマッテオがステーションに勤務しはじめてから、もう二十年以上経つ。そろそろ引退の時期が迫っていた。宇宙空間で一定の筋力を維持し続けるのは大変なことで、度重なる怪我で膝はボロボロだった。来週には新しいクロッサーが地球から派遣されることになっていた。恐らく、これが彼の最後のセンタリング・・・・・・だった。

「よし、いい感触だ」
 星空に浮かぶ衝突球の軌道を確認しながら、マッテオは手ごたえを感じた。放たれたボールは美しい弧を描き、ターゲットへと向かっていく。星間ガスの影響で、センタリングを上げたときのボールの軌道は地球とは全く違う。どんなに疑似ピッチを再現してトレーニングしても本物の宇宙は別物だった。センタリングはピンポイントで合った。ボールが接触した瞬間、内蔵されたイオンエンジンが起動し、球体の外部パネルからエネルギーが噴出された。ターゲットは軌道を変え、別の方向へと飛んでいく。しばらくしてステーションの制御室から通信が入った。
「マッテオ、よくやった! 小惑星の軌道を再計算したが、地球から反れたようだ。成功だな」
 小惑星が見えなくなった後も、マッテオはしばらくピッチから宇宙空間を見上げていた。これまで何万本ものセンタリングを上げてきた。それらがこの星空に広がる無数の光たちとどこかでつながっているのだと思うと、幸福な気持ちになった。そして同時に、宇宙の広さは彼に一種の諦念を湧き上がらせた。長年酷使した膝をさするとわずかに痛みが和らいだ気がした。制御室に任務完了の連絡を入れ、ステーション屋上のピッチを後にする。星たちの無音の歓声がマッテオの背中に降り注いでいた。【了】

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