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何でも真言

4年前の記事から・・・

ごきげんさん 2017.11.6.
自分の真言:マントラを持っていますか?
真言とは、(仏の)真実の言葉、秘密の言葉という意味です。
空海は真言について「真言は、不思議なものである。本尊を観想しながら唱えれば無知の闇が除かれる。わずか一字の中に千理を含む。この身のままで真理を悟ることができる。」と記しています。
瞑想では、マントラをこころの中で繰り返し唱え続けます。
数分〜数十分すると、唱えながら意識は別のことを考えてしまいます。
あっ しまった!と気づいたら、マントラを唱える方に意識を戻します。
瞑想とは、これの繰り返しです。
調子が良い時はずっとマントラに集中できますが、
雑念が多い時、ストレスや心配事が多い時には、意識はすぐにどこかへ行ってしまうので集中できません。
そんな時! 自分をジャッジしたり卑下したり落ち込んだりしてはいけません。
それも雑念ですから、何も考えずに手放してしまいます。
瞑想は意識を集中する練習ではなく、雑念を手放す練習です。
雑念こそが無知の闇なのです。
瞑想を始めて1ヶ月頃に最初のA-HA 悟りを体験できます。
初めての至福感であり、神との遭遇です。
やった!と誰もが喜びますが、その至福感は数日だけです。
そこから長い雑念との格闘の日々が続きます。ここで多くの方が瞑想をやめてしまいます。
さて、瞑想に使うマントラは何でも構いません。
意味のある言葉でも、意味のない言葉でもかまいません。
意味のある言葉・・・例えば「美しい」「平和」「ありがとう」「愛してます」でもOKです。
ただ意味のある言葉の場合、こころが 悲・怖・怒・憎・恨などで乱れている時には、そのマントラは嘘になります。
自分に嘘をつくことになり、ただ唱えているだけの魂の抜けた瞑想になってしまいます。
私は20年前にマハリシ・アーユルヴェーダを学び始めた時に、瞑想に使う自分用のマントラをいただきました。
今でも使っていますよ。これは意味のわからないマントラです。(きっとサンスクリット語では意味があるのでしょう)
意味のわからないマントラなら、こころがどんな感情でもマントラに嘘はありません。
マントラを唱えるー雑念を捨てるーマントラを唱える・・・の繰り返しに没頭できます。
瞑想中に現れる雑念にはいろいろあります。
今の悲・苦・悩・焦  未来の不安・恐怖・絶望  過去の後悔・反省・懺悔も
意識のバルドゥ(中間世)とも言える常識・刷り込み・邪念なども雑念として現れます。
それらの雑念を手放した先に、無の境地への入口が開かれます。
霊障病の治療法を薬師如来さん自らが夢の中に現れて伝授していただきました。
その際、お薬師さんの真言「おんころころ せんだり まとうぎ そわか」を唱え続けなさい、とおっしゃいました。
まだ自分の真言をお持ちでない方は、まず自分でいろいろな神仏の真言を唱えてみて、こころにストンと入ってくる真言をいただけばよいでしょう。
私にはどの真言がよいでしょうか? のクレクレ君はNGですよ。
一日1000回 10000回 唱えるべし!もNGです。 「〜べし」はすでに立派な雑念です。
もちろん台密の「オン ビセイゼイ ビセイゼイ ビセイジャサンボリギャテイ ソワカ」でも、
「ノウモ バギャバテイ バイセイジャ クロ ベイルリヤ ハラバ アラジャヤ タタギャタヤ アラカテイ サンミャクサンボダヤ タニヤタ オン バイセイゼイ バイセイゼイ バイセイジャサンボリギャテイ ソワカ」でも良いですが・・・悟りが遠のくような気もします。
瞑想も素直が一番です。
素直に無邪気に楽しくマントラを唱えるのが悟りへの近道ですよ。

自分の祈りを持つ。

それは、許しと感謝と悦びを持つことと同じです。

まず自分への祈りを大切にしましょう。

今、こうやって生きている自分、生かされている自分への祈りです。

まだまだ我欲とエゴと煩悩がいっぱい詰まっていても大丈夫。

空と無の世界は、どんな我欲とエゴと煩悩とも同席してくれます。
嫌な顔ひとつせずにね。

自分への祈りを我欲とエゴと煩悩に向けるのは、至難の業です。

神社仏閣で皆さんが祈願するように、自分の外へ向けて我欲とエゴと煩悩の成就を祈ることは 誰でも できますが、

自分への祈りを我欲とエゴと煩悩には向けられないでしょう。

それが出来れば、もう仏陀ですよ(^^ゞ

だから、自分への祈りは、自然に空と無の世界へ向かいます。

真言は、そんな祈りの乗り物です。

だから、何でも良いのです。

長い、短いは関係ありません。

何でも良いのです。
だから、意味不明なチベット語だったり、サンスクリット語だったり・・・
なのです。

何でも良いんだよ、と神仏は仰います。

ただ手を合わせてくれるだけで、嬉しいんだよ。

自分への祈りは、
内なる神仏へ、内なる宇宙へ、そして内なる愛への祈りです。

だから、

何でも良いのです。
この世も、今も、宇宙も、神仏も、愛も、夢のまた夢なのですから。


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