マニラ湾に沈む夕日、正月とサンミゲル
マニラ港の近くに小さなフェリーターミナルがある。その奥に大きな公園がある。公園の南側はショッピングモール、遊園地、屋台があり、凄い人出であった。一方で、公園の北側、海に突き出した防波堤の横は静かで、人もあまり多くない。そこに小さなバーがある。
マニラに来て1ヶ月が過ぎようとしていた。初めの半月は隔離期間のために部屋から出られず、後の半月は忙しく会社とホテル(仮住まい)を往復するだけであった。
日差しのピークはとっくに過ぎていた。この島にも一応”Winter”と呼ばれる時期があり、11月〜12月あたりの今の時期を言うらしい。クリスマスはすでに去ったが、ここでは1月の半ばごろまでそれを祝う。なので、明日の大晦日も、その後に来るはずの正月も全てクリスマスに内包されることとなる。
私だけかもしれないが、正月と聞くと否が応にも心持ちがしんとして静かにしていたいような気になってしまう。寒いねと言いながら、できれば派手でない肴で、燗でも飲んでいたいような気分になる。
公園のバーの席に腰を下ろして、じりじりと海に落ちていくまだ黄色な太陽を眺めている。短パン、Tシャツ、スニーカーで。という光景は日本人的な正月のイメージにはないと思う。少なくとも私にはない。それでも、そこに沈んでいく太陽には「今年がもうすぐ終わるのだな」という確かな実感があった。一瞬の後に思考は、浅草の居酒屋でコートを着込んで畳に座り、酒を飲んでいるイメージに戻る。そうして、暖かい海風の中日本のそれと比べると薄味のビールをまた一口飲む。
日がもう少し傾いて、太陽の色は橙を帯び始めている。ある人は太陽を、ある人は海を、ある人は風を見ている。その人たちが影になっていく。表情はわからなくなる。
バーのスピーカーからは音楽が小さい音で流れている。英語でも日本語でもない、おそらくはタガログ語の歌。若者たちが少し先のテーブルでジュースを飲んで楽しそうにしている。彼らの話す言語も耳覚えのない音だ。風は柔らかく、不快なものは何もない。
思えば、こうしてゆっくりと日の下、風の下にいることも久しぶりなのかもしれない。人工でないものをゆっくり時間をかけて感じることがいかに貴重で大切なのかがわかる。
そうして、ふと、随分と遠くまで来たものだなあと、思う。
先日、日本食を食べたいというはっきりとした願望を持った。海外に来てこういう気持ちを持つことはよくあることなのだと思う。みんな同じようなことを言う。私にとっては初めての感情であった。ここまで、「何でもいいから日本の食べ物を」と思ったことはなかったと思う。
そうして食べたのは鳥の唐揚げだったし(チキンを揚げたものなら街のどこででも食べられる)、そんなに旨いとも思わなかったが、変に安心する味であった。たぶんこういうのをソウルフードとか言うんだろうな、と思った。
自分の常識とはずれた世界に来て、その中で新たな日常が出来ていく。そういう状況にいると人は、嫌でも自分というものに向き合わざるを得なくなる。自分が何が好きで、何が自分にとってのスタンダードなのかを、考えざるを得なくなる。
街に出て、刺激を受けることでその思考は再スタートしてまた回り出す。だから、いろいろ出かけるべきだし、試してみたいと思う。
だいたいのことは経験してみないとわからない。腹に落ちてこない。それは、自分自身のことを知るためにも必要なことだろう。
日も暮れたし、家に帰ろう。