感情のドライブ
オフィス、そこでは感情を出してはいけない。そんな風に感じている。自分を出してはいけない。
考えてみれば、それはオフィスだからではない。世間だからだ。ずっとそういう風に生きてきたから、世間の中に身を置くとき、感情を、自分を外に出してはいけないと思っている。
なぜか。それは、関わってもらいたくないから。自分の中に入ってきて欲しくないから、だと思う。
できるだけ透明にならなくてはいけない。煩わしい思いをするくらいなら、自分を隠していた方が楽だからだ。
人は、親しい人の中でだけ、自分を正しく律していられるのかもしれない。
くだらない人間のくだらない話、聞きたくもないのにすぐそこでずっと鳴っている。聞きたくもないのに、拒もうとするほどうるさくなっていく。静かな心でいたいのに、耳から入ってきて邪魔をする。だからヘッドホンをつけて、好きな音楽で遮断する。何も考えたくないとき、音量を上げる。
銀座線の中で私の表情を伺う人は誰もいない。マスクをしてるから尚更、誰も私の表情なんて気にしない。ここが一番透明になれる場所かもしれない。
早く何かで武装しなくては。やわやわしてると何かにつけ込まれる、すぐに。
誰かがこの世からいなくなってすぐ、悲しいと思う。その時の感情は他の何とも違うように思う。自分がどうして悲しいのかがわからないのだ。
時間が経てば実感として悲しくなるだろう、それはわかる。ただ、今、なぜここで感情が揺れるのか、その理由がわからないのだ。
悲しいから、それはわかるが、悲しいとはどういうことを言うのか。この状態を悲しいと便宜的に呼んでいるのだろうか。であれば、言葉は何をも表せていない。
「悲しい」という言葉を聞いてイメージするものはこんなものではなかったはずだ。今まで、28年間味わってきた感情に本当の意味での「悲しい」はなかったということだろうか。その可能性もある。
ただ、実感として分かったことは、人が感じる何かを完全に言葉で表現することなんて不可能だということだ。饒舌な政治家も、ノーベル賞作家も、辞書を編む人たちだって、自分の感じた何かを一言では説明できないはずだ。原稿用紙1枚でも足りないだろう。それをうまく説明できたと仮定して。
だから、生じた感情それをとりあえず便宜的に悲しいだとか、嬉しいだとか、悔しい、苛立たしいなどと呼んでいるだけに過ぎないのだろう。と思う。自分が感じた何かを伝えるのに、毎回何行も文章を書くのは大変である。普段の生活において。
何かが亡くなって思い描くのは思い出ではなくて、ただそれはもうそこにいない、どこかにいってしまったという実感だった。
父は、その父が亡くなった時、泣かなかった。それを見て、小さいながら、こうならなければいけないと感じた。だが、それは難しいことなのかもしれない。
悲しみを紛らわすのに、一番楽な方法は、何かに対して怒ることである。でも亡くなってしまった何かを思うべき時間を、何かへの怒りで変えてしまうのは、正しくないことのように思う。だから、そんなのはやめよう。
自分が正しくないと思うことを、ダサいと思うことを、生活の中から徹底的に排除するべきなのだ。良い人生を生きるとは、良い皺を刻むことだ。良い皺をつくるのは、一生懸命生きたという実感だけだ。
そうして、今ある生活の中で一生懸命に生きようとする。それは懸命だし素晴らしいことだと思う。でも、本当の意味で自分が一生懸命生きたという実感を味わえるものは強いて一生懸命になることではなく、自ずから一生懸命になってしまうことをして生きていくことであろう。つまり、自分が本当に好きだと言えることをして生きていくということだ。好きなことをしている時、人は楽しいと感じるはずである。
そうして何を得るのか、という結果は重要ではない。過程が大事なのだ。それを楽しんで、自然と一生懸命になって行っている生活そのものに意味があるのだ。実感は、それ相応の時間をかけることなくしては得られないものだ。日々の積み重ねが人生なのだ。
とはいえ、すぐに生活を変えられるわけでもないだろう。我々を現実つまりは今ある生活に縛りつけるものはとても多い。取るに足らないものかもしれないが、それは確かな実感を持って我々の足をそこに縛りつける。
フィツジェラルドは言っている。(「マイ・ロスト・シティー」村上春樹訳)
かつて、この言葉は自分にとって違う意味に響いた。そして今はこの言葉を「我々はある程度のところで、”もはややりたくなくなってしまった物事をやり通した”というふうに思い込んで(区切りをつけて)いくのが大事なのだ」というふうに受け取る。どこかで、何かを決断して先に進むということ。
できるだけ他人に迷惑をかけたくないが、船が大きく梶を切るとき、嫌でもそこに波は立つのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?