夜更けのパリ、芯にワイン。
人気のない、夜更けのパリを歩いた。
静かで冷ややかな夜風は、私のことなど
他人事のようだった。
肩をぶつけるだけぶつけて、
こちらを見向きもせずに過ぎ去る。
菓子作りの勉強のためにこの街にやってきて
4年が経っていた。
毎日毎日ふんぞり返った職人の元で働いて、店を閉めてから重い瞼は開けたまま、余った材料で自分の菓子の研究をする。
そして、
これが上手くいかないまま次の日が始まる。
うんざりだった。
今日、私は店から1本のワインを盗んできた。菓子の材料として時々使うもので、高価な質のいいワインだが、金のため誰かに売りつける訳でもなく、どうしても飲みたい訳でもない。これといった理由は無かった。
ただ、時々、大地震でも起こってこの日々が突然ぐちゃぐちゃに崩れてしまえば良いのにという、
ねじれ腐った思想がよぎることがあった。
私は心の何処かで、この日々がなんらかのきっかけにより終わって“しまう”ことを期待していたのだ。自分の手で終わらす勇気のない私にとって精一杯のきっかけづくりが、ワインを盗むことだったのかもしれない。
左手に、半分減ったワインボトルを持ち、小さな水路をわたす石橋の上で立ち止まる。
消えた街灯を見上げる。そして、
私は街灯に登った。
生地をこねてばっかりで衰えた筋肉を必死で縮こませて登った。
夜風すらも私を無視する今、理性や常識など無用であった。
街灯の頂で、私はワインボトルのコルクを引っこ抜いた。
そして、おもむろに、なみなみと、
ワインを街灯に向けて注いだ。
鉄の支柱をワインがつたう。
街灯がワインまみれになった、当然。
私は笑った。酒のせいか、なんだか底抜けに明るい気持ちだった。そして、底が抜けたから、そのままどこまでも落ちて行くようでもあった。
ワインで濡れた街灯の支柱は滑りやすくなっていて、私の指が滑ってゆくのを感じた。醜くも、必死で街灯にしがみつく。この意地は一体何なのかとよぎった疑問を差し置いて、
「あとひと口」
私はその一心で鉄の柱を舐めた。
ぺろぺろぺ、ろぺろぺろぺろぺろぺろ。ぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺ、ろぺろぺろぺろぺろちゅぱ、ちゅぱ。
金属とワインという斬新な組み合わせが
独特で香ばしいフレーバーを成した
わけでもなく、ただ、
ワインがかかった鉄の味がしただけだった。
が、
今まで口にした酒の中で最高に美味かった。
ついに指は支柱からはがれ落ち、私は浮遊感のまま直下の水面にぶつかる時を待つことになった。
ほどなくして私を包み込んだ水路の水。
それは
二度と温まらないであろう私の体温からすれば暖かくも感じられ、心地よい。
今日は4年ぶりに、ベッドで眠れる夜だ。
夢は、見ないだろう。
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