北海道周遊パス紀行(14)トラブルを乗り越えて、キハ281系惜別乗車で函館へ。
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22分遅れの普通小樽行へ、足取り重く乗り込んだ。新札幌で接続を取るとは言え、気は重い。厚別を出て、車内放送が流れ、私は聞き耳を立てた。内容は【北斗16号】乗り継ぎ案内だった。
「‥‥白石駅で千歳線にお乗り換えして頂き、新札幌から【北斗16号】に乗り換えとなります。本日、特急【北斗16号】ご利用のお客様は、白石駅に到着致しますと、連絡通路を渡りまして、5番線から14:34発の千歳線普通列車千歳行にご乗車下さい、新札幌での接続となります。」
車掌の案内放送でも、新札幌での接続を告げた。小樽行普通列車の車掌にまで、【北斗16号】乗継客の情報が行き渡っており、その点での情報の水平展開はちゃんと行き届いているんだなという思いと、既に14:35になっており、白石14:34発の千歳行普通列車は待っているのだろうかという不安が交錯した。
問題の白石に14:36に到着した。【北斗16号】は札幌14:38発だから、まだ札幌駅に停車しているはず。そしてホームに降りれば、線路をはさみ向こうのホームには、確かに普通千歳行が停車していた。私は転ばないように小走りに階段を昇り降りし連絡通路を渡り、普通千歳行に乗り込んだ。普通千歳行は、白石を4分遅れの14:38に発車した。
「遅れていた、江別からの列車のお乗り換えのお客様をお待ちした影響で、4分遅れでの白石発車です。」
車内放送で、白石発車の遅れに対するお詫びが流れた。乗り換えたのは私だけみたいだから、若干気まずい気分になる。
白石から数分で新札幌到着し、私は下車した。
新札幌駅、ホームから周りを見渡せば、ショッピングセンターやビル、マンションが建ち並び、かなり発展している様だ。元々は千歳線は少し離れた別の場所を走っていて、新札幌周辺は何も無い場所だったが、1973年(昭和48年)9月の千歳線複線化による新線切り替えにより、新線上に設置された駅だ。
札幌市はこの地を「新札幌副都心」として開発、1982年には地下鉄東西線が新さっぽろ駅(札幌市地下鉄は札幌は平仮名表記)まで延伸し、一層発展していった。
現在は、札幌・新千歳空港・手稲に次ぐ4位の利用客数を誇る一大ターミナルに発展。今では特急列車も全て停車するまでになった。
そんな新札幌から【北斗16号】に乗る羽目になったが、発車時間が来たものの列車が来ない。ホームのスピーカも黙ったまま。
不安になりイライラしかけたタイミングで、ようやく【北斗16号】が入ってきた。たった3分遅れだが、私には長く感じた。
【北斗16号】の指定席はほぼ満席に見受けられた。幸い私の席に行けば隣席も空席だった。何れ乗ってくるだろうと思うが、札幌時点では空席らしい。
千歳線を南下し、新千歳空港からの乗り換え駅の南千歳で隣の通路側座席に男性が座り、少し窮屈になる。窮屈とは言え、私は多分途中で降りるだろうと思った。男性は荷物からして新千歳空港まで飛行機で乗ってきたと思うから、東室蘭辺りまでで降りると思った。
そう思ったのは、もし函館なら飛行機で新千歳へ降り立たずに、飛行機で函館空港に降り立つか、新幹線で新函館北斗行に乗るだろうし、森や長万部にしても、函館からのアクセスが良い。新千歳経由でのアクセスは東室蘭辺りまでが限界だから。
苫小牧を出て、車窓は退屈な工場が多くなる。たまに農場や牧場が姿を表すが、北海道らしい自然な風景とは言えない。樽前山も吹雪であまり見えない。
温泉とクマ牧場で有名な登別に停車し、そして室蘭方面への路線が分岐する東室蘭で、私の予想通り隣席の男性が下車した。恐らくはこの先は隣りに乗って来ないだろう。私は背伸びをした。
このキハ281系は、JR北海道が初めて1から設計した気動車特急型車両。先にJR四国が開発した、振り子式気動車の設計を活かし、1994年3月に【スーパー北斗】として登場したスーパー特急だった。
キハ183系の1.4倍の馬力のエンジンによる最高時速130キロの高速運転、そしてその高速運転中にカープに差し掛かっても、車体を傾けて乗り心地が悪くならないようにする振り子機構の重ね技で、従来は3時間半掛かった札幌〜函館間を2時間59分にまで短縮した。
【スーパー北斗】用に建造された後は、キハ281系の改良型のキハ283系に移行され、27両の製造に留まった。
後にJR北海道を取り巻く環境が厳しくなり、最高時速が落とされ、札幌〜函館間が3時間半かかるようになったのは、残念としか言いようがない。
しかし、乗務員を踏切事故から守るためのキハ281系の高運転台構造は、後のキハ283系から電車特急の789系まで引き継がれており、高運転台構造はJR北海道の特長とも言える存在であり、アイデンティティでもあるといえよう。
私も、過去に北海道ワイド周遊券で幾度か乗車しており、また昨今の青春18きっぷ旅行途上でも度々区間利用しており、馴染みのある車両だ。その車両が登場して28年で消えるのは、寂しいと言えば寂しいが、酷寒の北海道での過酷な高速運転で、老朽化が来たのだろう。国鉄時代製造のキハ183系よりも早い引退が、その証拠かもしれない。私は最後になるであろう、キハ281系の乗り心地を堪能した。
車窓は真っ暗闇になった、長万部を出た頃から急に退屈になり、タブレット端末を取り出して、キハ281系関連のYoutubeを眺める。せっかくキハ281系惜別乗車だが、車窓が楽しめないから何もやることが無い。たまたまキハ281系の誕生秘話の動画があったから、それを視聴した。
東京行の最終新幹線が連絡する新函館北斗で、新幹線乗継客が一気に下車し、車内は閑散となった。七飯を通過すると、車窓には函館市から北斗市にかけての夜景が広がる。函館本線は高台を走るためか、夜景の光を少し見下ろすような形で見られる。函館本線の夜でしか楽しめない車窓だ。
五稜郭に停車し、定刻の18:26に終点函館に到着。新札幌から3時間半で到着。キハ281系惜別乗車は終わった。ホームに降りて撮影しようと最後尾に行けば、最後尾はキハ281系の試作車であるキハ281-901だった。先頭の貫通扉の窓が小さいのが特長だ。
さて、函館まで来たが、この後は青函フェリー深夜便に乗船するまで7時間以上の時間がある。谷地頭温泉行こうか、函館山登ろうか、はたまた函館名物のラッキーピエロのハンバーガーとハセガワストアの焼鳥丼をハシゴしようかと思ったが、降りたホームの向かい側に、キハ281系の札幌行特急【北斗21号】が停車していた。時刻表を手繰ると、洞爺で上り最終特急【北斗22号】とすれ違うのが判る。つまりは洞爺の手前の長万部までキハ281系【北斗21号】に乗れて、折返して函館まで戻れる。しかも手元にはJR北海道全線を特急自由席まで乗れる、例の切符を持っている。
私は【北斗16号】を下車したその足で、そのまま【北斗21号】自由席に乗車した。キハ281系惜別乗車、延長戦だ。
発車まで時間あるから、改札に隣接したコンビニに行ったが、弁当類は殆ど無くなっていて、残り少ない夕食を買い込み、列車に戻る。
18:48【北斗21号】函館発車。7号車自由席は数人しかいないので、座席を向かい合わせにして脚を伸ばした。五稜郭・新函館北斗と停車したが、下り列車だけに乗車は殆どなし。私は長万部まで寛いだ。
函館から一時間半で長万部到着。雪による減速があったのか、所定より7〜8分遅れで到着。ホームに降りたのは私一人。私はホームから発車するキハ281系【北斗21号】を見送った。これが、私にとって最後のキハ281系となった。
さて長万部に着いたが、折り返しに乗る特急【北斗22号】は21:11発。発車まで45分ぐらいしかない。駅裏手の長万部温泉に行こうかなと考えてはいたが、さっき乗った【北斗21号】が遅れて着いたので、長万部滞在時間が削られてしまったので、温泉街まで行くのがかったるくなり、結局駅近くのコンビニにしか行かなかった。
発車時間の数分前にホームに行き、雪降るホームで寒さに凍えながら待っていたら、ほぼ定刻に函館行特急【北斗22号】が入ってきた。四日前の【北斗3号】と【とかち5号】で乗車したキハ261系1000番台だ。最終便で、尚且新函館北斗で新幹線接続が無い便だから、自由席は殆ど無人だった。
【北斗22号】の自由席に座り、私は過去の北海道ワイド周遊券で旅した思い出に浸った。当時は特急自由席乗り放題の北海道ワイド周遊券で道内を周っていて、飽きるほど特急に乗り倒した。周遊券が無くなり、いつしか北海道へは青春18きっぷや北海道東日本パスばかりになり、特急とは縁遠くなってしまった。しかし、久し振りに特急をふんだんに使った旅行をし、ワイド周遊券で旅した過去の気分に浸る事が出来た。たまには、特急列車ばかりの旅も良いものだ。
22:40、函館到着。後は青函フェリーで本州へ戻るのみ。しかし、予約したフェリーは函館港2:00発。3時間以上時間がある。最後に新新函館北斗行の新幹線リレー列車【はこだてライナー】があるので、最後の悪あがきだが、新函館北斗まで往復した。
函館23:11発、普通【はこだてライナー】で新函館北斗まで行ったが、新函館北斗行は函館から新函館北斗まで、ずっと私一人の貸切列車だった。折り返し函館行は、新函館北斗23:40発のところ、東京発の新幹線が遅れた為に、接続待ちで5分遅れて新函館北斗を発車した。新幹線からの乗り継ぎ客十数人と無意味に乗車している私を乗せた【はこだてライナー】は、5分遅れのまま、0:00に五稜郭に着いた。青函フェリー乗り場は五稜郭駅が最寄りだから、数人の客と共に、五稜郭に降り立った。
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