訓練#1_今日も明日も卵は贅沢品でありたい。
スーパーの卵コーナーはいつも私を迷わせる。
10個160円の安い卵か、はたまた10個で400円を超える平飼い卵か……
「今月の食費を考えると贅沢できないな…」「卵は毎日食べるし安い方にしようか…」
いろんなことを考えながらも答えが出なくて、一度卵コーナーを後にし、
他の食材を選んだあとにまた卵コーナーに戻るのである。
私が卵に迷い始めたきっかけは、前職の大先輩から、安い卵を生産する養鶏場についてのお話を聞いたことだ。安い卵の背景を知り、一方で鶏にも環境にも負荷を少なくし生産する養鶏場があることを知った。ふとスーパーでその話を思い出し、ちょっと高いなと思いつつ、平飼いで餌も栄養もこだわり、環境にも考えられた養鶏場の卵を買ったのである。
次の日の朝、炊き立てのご飯と一緒に卵かけご飯を食べた。
黄金に輝く黄身と弾力のある白身。
彼らは光り輝く白米と共に朝から優雅に踊っていた。
白身ってこんなに甘いんだっけ。黄身のなんと濃厚なことか。
卵かけご飯を食べた私はその日一日幸せだった。
そんな感動体験を経験し、
私はスーパーの卵コーナーに長時間滞在するようになったのである。
さて、私は現在、海外に行くために訓練所で生活しており、
ネパール語の勉強をしている。
授業中、ネパール語の先生から卵の話を聞いた。
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先生が小さかったころ、ネパールでは卵が贅沢品で有難いものだった。
卵が1つ手に入ったときには、火の中に入れて、半分は父に、残りは兄弟で分けていた。
その分けられた卵の自分の分が少しでも大きいととても嬉しかった。
1つの卵をみんなで分け合う、だからこそ「贅沢品」であり「ありがたみ」があった。
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次の日の朝、訓練所の朝ごはんに温泉卵が出た。
主菜ではないかもしれないし、副菜のなかでも目立たない存在かもしれない。でもほっとする美味しさだ。
生活水準が上がるからこそ変わってしまう「贅沢品」がある。
気が付かぬうちにありがたい「贅沢品」が「当たり前」になってしまうことが、きっとたくさんあるんだろうなと。
朝ごはんを食べ、先生のお話を思い出しながら考えた。
訓練が終わって出国するまでの間、
私はまたスーパーの卵コーナーで迷っているかもしれない。
それでも私は、
今日も明日も卵は贅沢品でありたい。
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