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古くから紡がれる遺跡の島

花の島で知られ遺跡の島でもある、北海道の最北端から60kmの場所にある離島。

その離島こそ、礼文島であり礼文町です。

日本最北の有人離島、礼文町の歴史を辿っていきましょう。

歴史

礼文島には、現在55ヶ所の遺跡が確認されており、その内13ヶ所が縄文時代の遺跡です。

遺跡は島の北部の船泊湾沿岸、東海岸の上泊地区などに分布しており、古から人が生活していたことが伺えます。

流氷や山火事などの自然災害に悩まされながらも発展し、現在ではその多くの自然が観光地となっています。

年表

1685年 松前藩主の直領地として宗谷場所が開設され、利尻・礼文がその付属場所となります。

1846年 青森県人柳谷万之助氏が尺忍において、移住民第1号として漁場開発にあたります。

1869年 蝦夷地を北海道と改称し、11 国 86 郡を設置。北見国礼文郡の名称が確立されます。

1878年 礼文郡に正式な村名として、神崎村・船泊村・香深村・尺忍村と定められます。

1880年 礼文郡香深村に戸長役場が開設され、香深村が開村します。

1884年 汽船恵喜丸に利尻・礼文各村が補助を交付し、定期航海をさせます。

1892年 香深村から船泊が分村し戸長役場を開設します。

1898年 赤岩で山火事が発生し大火となり、山林の大部分と部落住家 34 戸が焼失します。

1899年 天塩・利尻・礼文に海底電信線が敷設されます。

1902年 深・船泊両村が二級町村制を施行します。

1909年〜1911年 知床、会所前、船泊山林、内路山林で山火事が発生し、甚大な被害が出ます。

1923年 香深村が一級町村制を施行します。

1935年 稚内・利尻(鴛泊)・礼文(香深)の三角定期航路が開設されます。

1935年 大流氷が着岸し全島で海産物が大被害を受けます。

1946年 稚内・利礼航路の駅として、香深駅・船泊駅が開設されます。

1948年 起登臼を中心に世界各国の観測班による金環日食観測が行われます。

1950年 利尻島・礼文島一帯が道立自然公園に指定されます。

1954年 礼文島の奇病と騒がれたエキノコックスが問題化し、小動物の本格的な退治が開始されます。 入舟市街地で大火が発生、礼文診療所や住家など 56 戸が焼失します。

1956年 町村合併促進法に基づき、香深村・船泊村が対等合併して礼文村となり、役場所在地を香深に、支所を船泊におきます。

1959年 町制を施行し礼文町となります。
    桃岩一帯の野生植物群が北海道文化財に指定されます。

1965年 利尻・礼文道立自然公園が利尻・礼文国定公園に指定(昇格)されます。

1968年 陸上自衛隊礼文分とん地が設置されます。

1970年 東海岸線一帯に流氷が接岸します。

1974年 利尻・礼文・サロベツが全国 27 番目の国立公園の指定を受けます。

1978年 礼文空港が開港され、日本近距離航空DHC-6型機(19 人乗り)により、礼文・稚内間が25分で結ばれます。

2013年 船泊遺跡の出土品が国の重要文化財に指定されます。

ここまで、読んでいただきありがとうございます。

いかがだったでしょうか。

礼文町の歴史を少しでも知って頂けたのではないでしょうか。

歴史を辿ってみることで、礼文町のいろいろな側面が見えてきますよね。

それでは、またどこかの土地の歴史でお会いしましょう。

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