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志高く:経営の無限遠点
(長文記事です。約7000文字あるようです。)
■志高く
「志高く」
これは孫正義の言葉です。
よく「会社の規模は経営者の器の大きさ以上にならない」と言われます。これを仮に「経営者器説」と呼ぶことにします。私は考えました。ならば、特大の器を作ってしまえ、と。ちょっと乱暴ですかね。
「経営者器説」は必要条件なのか、十分条件なのか。
今回は私の原点を確認することと、読者のみなさまを未来の仲間として捉え、私の中の弱点(甘え、見落とし、新たな抑圧を生み出さないか)の自己点検としたいです。
前回のエントリーでは私が掲げるミッション
『100億年後も
人類が幸福であるために
今、地方を創生する』
について「資本主義をハックする」というキーワードで説明し、知り合いのAさんへの手紙という体裁にしました。
結果、有用かつあまり知られていない社会観察方法の提示、ツールよりの話になりました。
私は無名のブロガーに過ぎないにもかかわらず、皆さんに気に入って頂けたようで沢山の「スキ」「フォロー」「フォローバック」、そして貴重なコメントを頂きました。ありがとうございました。noteを使い始めて間もないのですが、アメブロ、はてなブログ、mixi、Twitterのどれとも違いますね。
先に書いた自己点検でもありますが、今回は皆さんに感謝しつつ、みなさんへの手紙という形に、みなさまに少しでもヒントがあればと思います。
リアルにお仕事でお世話になっている方々には、ビジネスの資料に落とし込むほうが先でしょ、と言われてしまいそうですが、遠回りなように見えてビジネス資料の下書きの一部とご容赦いただきたいです。これもコンサマトリー(喜び・遊び・労働が一体となった)な仕事ということで。
孫さんの話から始めます。孫さんは一度だけ300人ほど入る講演会で肉眼でお目にかかりました。その日は「光の道」を力説してました。もう15年ぐらい前でしょうか。
私は孫さんには好感を持っています。
毛髪についていじられて、
「髪の毛が後退しているのではない。
私が前進しているのである。」
というユーモア満載の返しは、さすがですよね。これも器です。
髪の毛が後退しているのではない。
— 孫正義 (@masason) January 8, 2013
私が前進しているのである。
RT @kingfisher0423: 髪の毛の後退度がハゲしい。
孫さんと言えば、
「いつか必ず、売り上げも利益も1兆(丁)、2兆(丁)と豆腐屋さんのように数えられる会社にしてみせる」
と決意したエピソードは有名です。
その決意のあと、当時2人いた社員は2人ともやめてしまったそうです。これを私は笑い話ではなく、経営者の器が大きすぎると、一般的な社員のスコープからは図ることができない事例だと考えます。経営者が桁外れ、理解不能でもかならず大当たりするとも限らないと思いますが。
孫正義率いるソフトバンクグループは2024年現在、ウィキペディアによると売上高5兆円、経常利益5兆円、総資産45兆円の大企業です。まさに1兆、2兆と数えられる世界です。また、売上高と経常利益がほぼ同額なのもすごいです。個別の企業研究が必要ですね。
経営者は器が大事。そう言っていいでしょう。
で、私は
『100億年後も
人類が幸福であるために』
という上の句を最近、思いつきました。説明になってない、ですかね?
(ここは孫さんに絡めて「髪の句」と言ったほうが良かったかも。孫さんごめんなさい冗談です)
■50億年後の地球
ちょっと話は変わり。みなさんは地球が50億年後、どうなるか知っていますか?
シンキングタイム 60秒(ちょっとスクロールを止めてください。)
正解とされる仮説は
「太陽の膨張に飲み込まれて地球は消滅する」です。
星の寿命は質量によって決まり、太陽のような質量の星はおよそ100億年。いま、太陽は誕生から50億年ぐらいなのであと50億年ぐらいが寿命となります。太陽は寿命が尽きると今の200倍の大きさとなり、その過程で地球を飲み込みます。
この仮説を信じるならば「宇宙」「IT」「環境・バイオ」を駆使して地球外に脱出しないと人類は存続できません。
テラフォーミングというやつです。
「宇宙」「IT」「環境・バイオ」と聞いて私はイーロン・マスクを想起し、勝手にシンパシーを感じております。イーロン・マスクはスペースXで火星への移住を目指し、テスラで自動車をIT化して、Twitterを買収してより身近なコミュニケーションを目指し、CO2削減技術のコンテストに50億円とも100億円とも言われる多額の賞金を投入しています。
みなさんのビジネスに、人生に関係がない?
宗教くさい?うさんくさい?
よく言われます。ちょっとこの胡散臭さの払拭はこの投稿(エントリー)では無理かも…(次回?)
■無限遠点
数学の概念で「無限遠点」というものがあります。
無限遠点(むげんえんてん、point at infinity)とは、限りなく遠いところ(無限遠)にある点のことである。日常的な意味の空間を考えている限り無限遠点は仮想的な概念でしかないが、無限遠点を実在の点とみなせるように空間概念を一般化することができる。そのようにすることで理論的な見通しが立てやすくなったり、空間概念の応用の幅が拡がったりする。
https://ja.wikipedia.org/wiki/無限遠点
私は
『100億年後も
人類が幸福であるために』
ということを経営における無限遠点としました。
「経営者器説」に従うならば、特大の器を作ってしまえ、と。私が考えつく器は時間軸を人の一生や、業務の時間を遥か超えて地球が消滅してしまうかもしれない地点からゼロベースで思考することでした。
経営における無限遠点のご利益(ごりやく・機能)は下記の3点だと考えています。
「経営者器説」が正しいならば、大企業を創造でき経営は安定し、より多くの社会貢献が可能となる。
無限遠点を置くことで、認識のフレームが変容し、競合がいなくなりまさしく無限とも言える可能性の平面が見える。
私の体感としてコンサマトリー(喜び・遊び・労働が一体となった)な仕事であること。
1点目は眉唾ですかね。「経営者器説」そのものは正しいとしても、その正しさが発動するための条件がまだ分かりません。コンサマトリー、オープンネスな「組織」が日本だと突破口になると仮説を立てていますが、その話はまたいつか。
2点目はとてもご利益があります。私のパーソナリティは、好奇心が強い割にビビりです。また、怒りっぽく妬みっぽい欠点があります。すみません。
そんな私でも、この経営の無限遠点から照らせば、多少嫌なことを言われたり、大きな商談で競合として他社がやってきても以前ほど気にならなくなりました。
もちろん実際の商談では自社と他社の区別があるので自社が受注できるようにベストを尽くすのですが、一方の100億年後の無限遠点から見れば自社と他社どちらが受注するかは全く差がないことです。
無限遠点からは競合は観察できません。競合など地球上には存在せず、来たるべき50億年後、100億年後に備え人類が幸福に暮らすべく「宇宙」「IT」「バイオ・環境」を進化させる仲間です。またはそれらの産業が成り立つようにするための「補完財産業」です。
無限遠点から、競合は観察できない、というのは学説的には前回挙げた社会学者ニクラス・ルーマンが提唱する「対立は統合の証」というものです。「対立することができるのは共通の前提にともに乗っているからであり、同じコミュニケーションの枠組みにいる」ことを指します。
ルーマンの社会システム理論をつぶさに見ていけばかなり過激なことが書いてあります。ルーマンの定義するコミュニケーションでは、一般的に想起される「人が人に伝える」「人が対話や文字で平和的にものごとを進める」という要素が皆無です。
ルーマンによると
「戦争もコミュニケーション」となるし、さらには「人間はコミュニケーションできない。コミュニケーションがコミュニケーションする。コミュニケーションがコミュニケーションに接続する。人間はコミュニケーションを成り立たせる重要な要素であるが、システムの外部たる環境である。」
どうでしょうか。ルーマンの社会観は、一般の感覚からはかけ離れていますが今回はルーマンへの深入りはやめておきましょう。私はこう考えます。ルーマンの包摂の概念を多くの人が合意しやすいカタチにまで具体化したものがSDGsで、経営をするうえでやはり残しておきたい参入障壁について逆に分かりにくいまま置いているのが私の「経営の無限遠点」なのです。
分かりにくいですよね?狙い通りです。
3点目は私の体感に過ぎないのですが、とても楽しいです。この楽しさ、どこから湧いてくるのでしょうか。時代を少し考察すると、これまでの企業はモノが不足した時代でしたから、会社設立の目的をモノにせざるを得ませんでした。
ビジネスはその歴史的使命を終えているのではないか?
前回もメインに引用した山口周『ビジネスの未来』では、「はじめに」でメガトン級の問いからスタートします。そして山口は様々に例示する中で、パナソニックの「水道哲学」のマニフェストを挙げ、
松下幸之助はこのマニフェストにおいて、「生産者の使命」は「生活物質を無尽蔵に提供して貧を除くことだ」と宣言しています。ということは、8〜9割の人々が物質的に満足してしまっている現在の日本において、パナソニックは社会的使命を達成し終えた、ということになります。
私が言いたいのはパナソニックに象徴されるこれまでの企業がモノを豊かにしてくれたからこそ、コンサマトリーな生き方を模索できる時代になったということです。
私は自分の成績を上げる、みたいなやり方ではなかなかやる気が続きません。特に休日はだらだらして、コンピュータゲームなどの娯楽の誘惑に勝てません。
(最近は任天堂スイッチ、スプラトゥーン3がめちゃくちゃ面白いです。真面目な話、コンサマトリーな働き方を提供すると方針を決めるなら、コンピュータゲーム、Youtubeたちこそ競合かと。代替品の脅威ですかね)
ところが、この100億年後という無限遠点を置くことで、空間と時間が広がります。やる気が満ちてきます。noteを始めてみたのもそうです。
自分や家族だけでなく地域、コミュニティ、他の地域、日本、全ての国、自然環境といった空間の広がり。1年後、5年後、10年後、100年後、10億年後という時間的な広がり。
この「誰かのためになら無限に力が沸き起こるように感じる」のはなぜなのでしょうか。社会学者の宮台真司は感染的模倣(ミメーシス)という言葉で「合理性を超えさせる力」を説明します。
1967年に処刑されたゲバラは、僕らのヒーローでしたが、なぜアルゼンチン人なのにキューバ革命に命を賭けたか、なぜ革命成功後に要職を辞退してボリビア革命に飛び込んだか、なぜ短期間に一介の医師が司令官に昇格したか、謎の多い不思議な人です。
(中略)
答えは「合理性を超える力」。もっと正確に言えば、「合理的な理由で逡巡せざるを得ないという壁を、人に乗り越えさせる力」です。
先に挙げた謎の理由はよく分かりませんが、一つだけはっきりしているのは、キューバ人でもないのにキューバ革命に命を懸け、ボリビア人でもないのにボリビア革命に命を懸けて処刑されるという具合に、誰よりも合理性を判断する力を持つ頭脳明晰な男が、軽々と合理性のむこう側へと跳躍する事実です。
自分がゲバラと同じだ、とか、現代の革命家だ、とか言うつもりはありません。このエネルギーをカタチにしたいと思います。
■小室直樹と宮台真司
私は今年、2024年に入ってミッションを掲げました。つい最近ですね。
きっかけはある自治体が開いたビジネスコンテストです。コンテストだけでなく起業家向けのプレセミナーが合計3日間付属しておりました。
私はキャリアがITの業界なのではじめはITよりのアイデアを考えていましたが、ベンチャースピリッツを学ぶワークショップで自分がどのような人間で何をしたいのか深堀りする機会がありました。そこで今まで、日々の仕事や生活で忘却していたものが雪崩のように湧き上がってきました。自分が何者であるのか、徹底的に向きあうことを経て今に至ります。
ある地方都市のスタバでミッションをパワポ書きながら、感情が溢れ出し一人で泣いていました。周りに居た皆様、すみませんでした。
このミッションにつながる源流は2つあります。
1つは私は小室直樹が研究していた社会学の学派の末裔と自認していることです。小室先生は既にお亡くなりになっており、私は直接お会いしたことはありません。以下、小室先生の自著や評伝やお弟子さんたちの記載によるところを書きます。
小室直樹は元は数学、物理学を専攻していました。敗戦を体験した小室はアメリカに二度と負けないような国になるため原子力爆弾の開発を目指していたと聞きます。しかし、志望していた大学では原子力爆弾の開発につながる研究はできないと知り、失意にくれていたところ経済学に出会い社会学、心理学、政治学など多様な学問を修めました。それらの社会科学を修めたのはこれからは武力の時代ではなく経済の時代であり、社会の豊かさでアメリカに勝たねばならない、武力ではなく社会や組織で負けてはならないと考えたそうです。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」とは孫氏の兵法ですが、小室は敵を知るためにアメリカに留学し経済学や社会学の一流の先生に師事しました。その師事した中に当時最も影響力のあった社会学者タルコット・パーソンズがおり、帰国後はパーソンズ流の社会システム理論の発展を構想しました。パーソンズは前回も「インストルメンタル/コンサマトリー」という概念を提示し、ニクラス・ルーマンの師匠でもあるということで登場しましたね。
小室は東京大学で沢山の学生に学問を教え、それらの学生の多くは研究者や評論家になっていきました。先に挙げた宮台先生もその一人です。
宮台先生の著書によると、小室先生は晩年、日本社会について楽観されていたようです。社会システムは人の寿命や大きさに比べ普段は大きくとても変えようがないように見えるが、社会が変動すると必ず切り開く人が出てくる。だから心配いらない、と。
以上、小室先生の略歴でした。
では、小室先生と私はどんな御縁があるのか。
ある日、とある政治学の塾に講師としてくる先生の中に宮台先生がいることを知り、私はすぐに申し込みました。土曜日に不定期開催の塾の費用は安かったのですが、地方から東京までの交通費がばかになりませんでした。でも行ってみると遠くは沖縄や大分から参加している人、地方議員の人、秘書をやっている人、アメリカでITを学び東京で経営者をしていたけど今後は地方で起業する人など居てとても刺激になりました。
塾の日、宮台先生が来ない日がありました。しょうがないのでみんなで食事をして解散しました。あとで知ったのですがその日に小室先生がお亡くなりなり、宮台先生は奔走されていたということでした。
日本が今後、アメリカに二度と負けることがないように、社会の豊かさで勝たねばならないと願った小室直樹の生き様に私は感化されました。そのような訳で小室学派の末裔を自認しております。だから地方が衰退するのを見過ごすことはできない、と私の中ではつながっているのですが、ちょっとこのあたりは他に人に伝わりにくいことかもしれませんね。
■思弁的実在論
ミッションにつながる源流は2つめは「思弁的実在論」または「思弁的唯物論」です。
「思弁的実在論」は現代哲学の最前線の潮流です。これまでの主流は大哲学者カント以降、モノそのものへのアクセスができないとされています。思弁的実在論の代表と目されるフランスの哲学者カンタン・メイヤスーはこのカント以降の流れを「相関主義」と呼び退けます。
むしろ、彼が「実在」と考えているのは、数学や科学によって理解できるものです。その立場を、メイヤスーは「思弁的唯物論」と呼びながら思考を深めていくのです。
人間の思考から独立した「存在」を考えるために、メイヤスーは人類の出現以前の「祖先以前性」を問題にしたり、人類の消滅以後の「可能な出来事」を想定しています。これらは、「人間から分離可能な世界」として、科学的に考察することが可能でしょう。それなのに、「相関主義」はそのような理解に目を閉ざしてきたのです。
こうして、メイヤスーによれば、カントの超越論的観念論(認識論的転回)も、20世紀の言語論的転回も、ポストモダン思想も、相関主義に他ならず、批判されなくてはならないのです。
「思弁的実在論」とは何か?メイヤスーのもたらした実在論的転回
https://diamond.jp/articles/-/101731?page=2
メイヤスーが人類消滅以後の「可能な出来事」を想定していることから、私は「100億年後も人類が幸福であること」のヒントを得ました。
今回は最後に小室直樹先生が残した言葉を書いて終わります。ありがとうございました。
『激動の時代に人は輝く』