自分のこと、実家を離れるこれからのこと
夫と入籍し、住まいは実家と離れた場所に。
実家を出たことのない、ましてつい最近まで引きこもりだった私が?と我ながら想像もつかない展開になった。
でもわかってはいた。
遠距離恋愛をしていた時点で、看護学校を卒業し入籍したら彼のもとで暮らすのだと毎日覚悟はしていたはずだった。
し、やっぱり大切に思い続けた人といつも一緒にいられると思うと幸せだった。
27で初就職したので、土地も職場も暮らしも何もかも初めての場所。
幸せな結婚生活をイメージしていたはずなのに、その日を迎えると期待よりも不安の方が高まっていたのを思い出す。
私は、彼とともに生活をして1年で心を壊した。
再び。
ちょっと大袈裟か。
22歳で「卒業です」と5年通い続けた精神科医に言い渡された日から、健常者でもキツいと言われる看護学校も乗り越え、一切薬も通院もなく過ごしてきた。
6年後、再び心療内科の予約を入れた。
泣く力すら残っていなかった。
声も身体も震え、冷え切っていた。
『睡眠』が、私には心と身体の一番の癒しだった。
そのモードに入れる前後もとても大切で、眠る前のリラックスタイムが何より好きだった。
その時の景色は、やっぱり実家の、あの私の部屋なのだ。
子供には広すぎるくらいの部屋を与えてもらえたのは一人っ子だったからだろう。
大切に大切に育ててもらった。(今でも甲斐甲斐しく世話になってしまっているのは情けない)
お気に入りのライトを点けて、カーテンがそよぐのを見ていた。窓の外では秋の虫たちが鳴いていて、夜の風景も見知った家々なら怖くはなかった。
穏やかになれる音楽を聴きながら、日記を書いたり妄想したり、週末の予定を考えたり。終わりそうにない課題の見通しを立てたり。
これからの人生を思い描いたり…
そんな時間が私には本当に大切だった。
あの場所で、それをすることに意味があった。
私の部屋。
17歳、初めて二の腕を切りました。
脱がなければバレないところを切りました。
自分を責めて追い詰めてくる自分自身に耐えられず、痛みで許されようと切りました。
18歳、食事も受け付けず、学校にも行けず、何度も何度もたくさんの薬を飲み込み壊れようとしました。存在するだけで迷惑をかけている、と思い込むようになり取った行動で、逆に医療者の皆さんにも家族にも本当に迷惑をかけました。
そんな、同世代の青春真っ只中、私は涙と血でシーツを濡らす毎日でした。
強い睡眠薬を処方されても眠れず、空が白んでくるまで泣き明かした日が多くて、悲しくて辛い記憶の濃い場所でもある。
けれど、あの私の部屋で一番強く思い出すのは
母が泣きながら抱きしめてくれた日のこと。
精神的な状態が落ち着き、やっと人並みの幸せを掴めるねという矢先に不幸が重なってしまったあの時、
「なんで…なんで…あんたばっかり!ね!?」
と母は泣きながら私を抱きしめて、呆れたように笑っていた。母も感情がぐちゃぐちゃなようだった。
泣ける映画も話も絶対に誰かと一緒に見たくない(泣いてるのを見られたくない)ような母だったので、なんだか嬉しかった気がする。
そんな母は、引きこもり続ける私に何も言わなくなった。「もう生きてりゃいいもん。それだけでいいよ」と、親孝行とは程遠い私の体たらくに呆れたような、私が生きてることに安心したかのような、そんな脱力した言葉が口癖になった。
朝は毎日コーヒーの香りが漂うリビングで、陽だまりの中犬と寝転がって過ごす母の姿に癒されていた。
母の愛に完全に甘えていたし、この景色を失いたくないと強く思った。
悲しくて苦しかった 辛かった
でもそれを覆うような優しさは計り知れず
今でも私を許し続けてくれている
自分の育った家を思うだけで、心がほかほかして、緊張も不安も解けていく。
それを失った結婚生活で、通常よりも多い夜勤体制の病棟に配属された私は、案の定身体も心も壊した。
目に映るものぜんぶが悲しくて、不安で、歪んでいて、何もしていないのに涙が流れた。
空虚感を埋めるように暴食し5kg増えた身体は、歪んだボディイメージを持つ私には、それがまたかなりのストレス要因になっていった。
朝起きても涙が止まらず、つらい。つらい。しか出てこない頭の中。
泣きながら師長と話をし休職となった。
申し訳なくて、泣きたくないのに涙が止まらなかった。
帰りたい。帰れない。帰りたい
何度泣き叫んだことか。
帰りたい自分も、
夢だった場所での仕事を投げ出した自分も、
帰らせてくれるであろう夫の優しさに甘えようとする自分も、
ここで踏ん張って頑張れなかった自分も、
ぜんぶぜんぶ許せなかった。
またあの頃の、情けない意味のない人間に戻ってしまった。
そんな気にもなっていた時、自分たちが長期で家を空けるから実家で犬を見ていてくれないかと提案をしてきた親。
廃人と化し休職中だった私は、寝ているだけでいいならと快諾。
夫も「気持ちが休まるまで好きなだけ行っておいで」と送り出してくれた。
地元の駅に降りた途端、身体の内側から、心の隙間から、なにかで潤っていく感覚が頭を突き抜けた。
「私は、ここに帰ってきたかったんだ」
一目も気にせず泣いた帰り道。
歩き慣れた景色と空と、商店街の音
本当に心が震えていた。
今、その6年後。愛犬は他界。
夫が尽力し、何度か引っ越しを経て
今は実家の下で暮らしている。
期限は再来年3月まで。
幸せで夢みたいだなと穏やかな気持ちになる一方で、「実家を出る」をまた経験しなければいけないことが、やっぱり少し怖い。
この約1年で、自分の甘えに区切りをつけなければいけない。
実家を離れれば親に寂しい思いをさせる…じゃなくて。親に会って安心させる、みたいなやり方はいくらでもできるのだから、やっぱりそれは、自分が実家に執着しているだけの言い訳で。
これから、その覚悟というか、葛藤というか、いい年したおばさんが、実家と離れる心の整理をnoteに残していこうと思っています。
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