思い出を燃料にして生きること
実家の近くでアパートを借りながら、週2〜3の日中は実家で過ごす生活をしている。
それとは別に、
急な発熱、雨の日の送迎、怪我、夜中の症状悪化、アナフィラキシーに近いアレルギーを起こしてしまった時も。
父にはことあるごとに車を出してもらい、私たち家族の生活を滞りなく過ごせるようにと助けてもらっている。
本当はただ母親である私の能力値が低いためのフォローをしてもらっているのだ。申し訳ないけれど、本当に助かっている。
感謝してるけど、やっぱり母の方に甘えて優しくするのは親子の運命なのかな。ごめんね父ちゃん。
祖母(母の母)と二世帯住宅で暮らしていた我が家。
父はマスオさんみたいな感じ。
4人姉妹の母は、それぞれみんな実家が好きで地元を離れず暮らしている。姉妹はとても仲が良く、私もずっと可愛がられてきた。
が、祖母はちょっと癖のある人で、思春期を迎えた頃から苦手意識も強まっていた。上で暮らしていたにも関わらずほとんど交流はなかった。
その祖母が施設に行くというタイミングが重なり、誰もいないので1階部分を貸してもらっている。
子供らの夕飯と風呂を実家で終えてから帰宅する日々。本当に甘えてるよなとため息が漏れる。
夕飯を終え、食器を洗い、シンクを洗う。
「これが最後か」
と、また、この家を出る日を思い浮かべながら布巾で拭き上げる。
なるべく自分たちの痕跡を残さないよう現状復帰してから家を出るようにしている。
「これが最後だったら」と、無意識に自分に条件を課している気がする。
覚悟の分散をしているのかもしれない。
突然の別れや変化が苦手な私にとっての悪あがきだ。
日々を生きている中でも、そういえばやってた。
実家へ続く道も、窓からの景色も、「いつか思い出す時のために目に焼き付けておこう」と意識することが多い。
「離れたくない。最後なんて迎えたくない。」
と強く考えているくせに、そうなった時のために準備している自分がよくわからない。
これがきっと私なりの心の予防線。
なのに、受け入れたくない現実ばかり想像して受容しようとする矛盾に度々苦しめられているから逆効果な気もする。
親の死も同じ。
いつか必ずさよならの日がくる。
対面し、ありがとうと手を握る瞬間が。
想像の中でも泣いて取り乱す私に、どうその現実と向き合うのか。怖すぎ。
毎日、ふとした笑顔も、会話も、またねーで去っていく時の背中も、「これが最後かも」なんて思い巡らせて悲しくなる。
子供らに何か残せるよう、家を買った。
このご時世、家を持つことを現実にできる夫の稼ぎに感謝しかない。(いずれ私も働くのだけれど)
建築前のため、完成するまで実家で住まわせてもらうことに。
私にとっては夢のような話だ。
でもそれも期限付き。
おわりがくる。
早くても来年の12月には実家を出て行く。
本当に「これが最後」。
1日、1分、一瞬を、抱き締めるように過ごせたらいい。
家を出ても踏ん張れるような、別れがきても糧にできるような思い出の箱を、これからの時間でいっぱいにしよう。
まだ、いつだって帰れる。
お母さんたちが元気でいてくれる今なら。
きっとそれだってお別れが来ても、思い出の中でいつでも会いに帰れるように。
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