愛された記憶を紡ぎ直す。
幼少期を振り返ろうとしても、
記憶を引っ張り出せるのは4歳くらい。
それも断片的。
何をしても許されていた赤ん坊の私が
どんな風に育てられたかなど思い出せるはずもなく。
だから今
娘が、母に
いい子いい子と頭を撫でられ
かわいいねぇと抱きしめられる姿を見ていると
胸の奥がじんわり温まる。
きっと私も愛されていた。
こんな風に。
今までも変わりなく、ずっと。
思春期、
母から愛されているのか自信がなかった。
私は私でいていいのかわからなくなって
もう死ぬしかないのだというところまで
悩み、絶望したあの頃。
母のやり方も間違っていたが、
私自身生きる耐性の弱い人間だった。
周囲の何気ない言動に、必要以上に傷付き怯えながら
日々生きる気力をすり減らしていた。
あの頃一番欲していたのは
良い薬でも栄養でも睡眠でもなく
母からの愛と、
それを素直に受け入れられるだけの自信だったんだろう。
今、生まれた日から注がれていたはずの
母からの愛の形を目にすることで
自分自身の、よし生きるぞメーターみたいなものが
ぐーんと上がる感じを体験している。
相変わらず、
そんな気力は簡単に消耗してしまうけれど、
ちゃんと補給もできるようになったみたいだ。
この子にもいつか見てもらえるだろうか。
今の記憶は、
きっと見えないところまで沈んでいってしまうから。
人は、見えないものを信じ続けられるほど
毎日強くはいられないから。
いつまでも泣いて駄々をこねる娘
途方に暮れていると
母は、真面目な声で娘を叱る。
「こら!私のかわいい娘を困らせるのは誰!」
「孫よりも、自分の娘が一番可愛いに決まってるじゃない」
そう目を細めて、当たり前よねと言う。
母親からの愛には敵わない。
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