「利己主義」?「利他主義」?いえいえ、『利行は一法なり』、です。
昨日のnoteでも使った用語ですが、「利他」あるいは「利他主義」という言葉があります。
元々は「利己主義」の対概念として、フランスの社会学者オーギュスト・コントによって造られた造語です。
それが日本に輸入されるにあたり、「他人を思いやり、自己の善行による功徳によって他者を救済する」という意味を持つ仏教用語『利他』が当てられたとされています。
このように、元々は西洋の二律相反する対概念である「利己」と「利他」とを、仏教の用語を用いて紹介してしまったところに誤解を産む大きな原因があります。
『利他』の経営というと、みなさんはどういうイメージを持たれるでしょうか?
・自分が利益を得ずに他人を利する
・自分を犠牲にして他人のために尽くす(自己犠牲)
・無償で事業に関連する財貨やサービスを提供する
・ボランティア etc,
しかし、このような考え方で経営をしていては、厳しい経営環境を勝ち抜くことはできないと思われるのではないでしょうか?
まさにその通りだと思います。
これらは『利他』の経営の真の姿を表していません。
西洋では相反する対概念の「利己」と「利他」ですが、仏教では対概念ではなく、誤解を恐れずに言えば「同じ」概念です。
「他を利すること」とはすなわち「己を利すること」であって、「他を利すること」によって「自己の利が省かれる」ことはありません。
あるお経の中に、他人を利することは自分を利することと同じだという意味で『利行は一法なり』としたためられています。
「お客様満足度を上げる」、「従業員が働きやすい環境を整備する」、あるいは「地域に貢献する」などの施策は、一方的にお客様や従業員や地域を利するのではなく、お客様や従業員や地域を利することによって、それらの人々も喜び、自らも利益が得られるとするものです。
自己を犠牲にして他の誰かを利するのではなく、お互いがWin&Winの関係を築くのです。
『三方よし』という言葉があります。近江商人の経営哲学のひとつとして広く知られている考え方で、「商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売といえる」というものです。
これも、『利他』の経営の良い例でしょう。
重要なことは「自己」を中心として考えるのではなく、その視野に「他者」を含めること、「社会」を中心としてその中に「自己」を位置付けることです。
「社会を中心としてその中に自己を位置付けること」とはどういうことか?
実はこの質問に明快に答えてくれているのが経営の父 P.F.Drucker」です。
これについては、また稿を改めてご紹介しましょう。