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【自伝小説】青い残り香

 作品を完成させるために最も適した画材が「消化器」であることに気づいたのは、他人から見ると異常のように思えただろうけれど、僕にとっては必然だった。新宿のドンキホーテを新兵みたいに鼻息荒く行進していた僕は、エスカレータを登り切ってすぐ横に鎮座していたギラつく赤いその容器を「これだ!」と心の中で歓喜し敬礼したのち、ものの一秒で買い物カゴへ投入した。言うまでもなく、不慮の火災に備えるためではない。自己表現のためである。


 「消化器アート」ならぬ「消化器事件」は、美術大学に入学してすぐの頃、僕が自分の手で引き起こしたものだ。恋愛における動機と同じく、表現における動機は明らかにするべきじゃないと思うが、それをあえて安直に言えば僕自身の「怒りの可視化」だった。

 そもそも僕は高校生の頃に、戦争体験を経て生死を描いた画家に感銘を受け、人生を賭するべき道は美術だと前のめりに決断した。その熱量のまま田舎から上京した若者にとって、100万円を超える学費を親に払ってもらいながらのうのうと暮らす美大という構造は、どんどん自分の脳味噌に甘い生クリームが注入されていくみたいな地獄だった。戦場で斬るか斬られるか、という緊張感が美術にはあるはずだ。それを全学生に伝えてやりたい。そんな盲目的で、テーマとも言えないテーマに真剣に取り組んでいた7年前の僕は、周囲から見ればさぞ滑稽であっただろうと今では思う。

 その単純な計画にも一つだけ問題があった。僕の目論んでいるパフォーマンスのための展示イベントは原則グループによる作品発表、つまり僕一人の意思で怒りを吐露できるわけではないのである。グループメンバーと共闘しようとなった時に、こんな感情的で主観的な動機に誰が共感するのかと思われるかもしれないが、その点は集まったメンバー全員が同様の憤りを感じていたことが幸いした。

 僕達って何でこの場所にいて、何ができて、自分とはなんなのか…。そんな答えのない議論をしていたある日の夜の食堂で、僕は彼らの…いや僕自身の青い悩みを500mlの午後の紅茶を頭から被ることで一蹴し、こう叫んだ。

 「つまり、こういうことだろ!」

 これを読んでいる読者の皆様は、つまり、どういうことだ? と思われるかもしれないが、青年の青い憂苦は、ほんの少し勢いのある何者かの行動で、若干晴れるものなのである。突然、午後の紅茶のペットボトルをひっくり返すのみならず、あえて頭から被ってみる。翻訳すれば、「そんな悩んでるだけで、人の心を動かす表現ができるの? 怒りや悲しみを、そのまま行動に移してみようよ。これを頭から被るだけでも、僕が本気だということは伝わるだろう?」である。その平穏な日常に訪れた微かなノイズは、多分彼らと、僕自身の心を動かした。

 「よし、そうしよう。もうパフォーマンスの内容は計画しない。各々当日自由に、与えられた空間でパフォーマンスしよう。」…ジャストドゥーイット。そういう流れで、当日はいくつかのルールは決めたものの、発表の場で全員が思い思いにパフォーマンスすることになった。


 当日、真っ白な家具を集めて構成した舞台空間の片隅に、僕は消化器を隠した。刀が一瞬でその場を赤く染めるように、目の前の景色を瞬間的に塗り替えてやりたい。真剣なその想いも、消化器の噴射という具体的表現に変わると一種の譫言のような馬鹿らしさがある。そのため、より事件性が必要だと考えた僕は、学食で2、3日かけて集めた生ゴミを消化器の中に入れて噴射しようとしたけれど、幸か不幸か消化器の解体が間に合わず断念した。

 ただの消化器だからこそ、激情を身振りに乗せて噴射しなければいけない。そんな決意を胸に秘めてパフォーマンスは始まった。


 僕はまず、消化器とは別に用意した絵具と泥を混ぜた物体を、腕自体吹き飛ばす勢いで何度も何度もぶん投げた。壁にぶち当たった泥は四方八方に飛び散って、パフォーマンスするメンバー全員を鮮やかに塗装した。壁と砂利とが勢いよくぶつかったことで生まれる、美術館に似つかわしくないバチンッという破裂音は、観客と僕それぞれの緊張感を一気に引き上げる。

 投げれば投げるほど、時間の流れが鈍っていくように感じた。泥が足の裏でグジュグジュと嫌な音を立て始めたが、すぐにその音は遠くへ消えていき、気づけば鼓動だけが僕の耳元で何かを語りかける。ドクドクという身体の声音はささやきから叫びへ、僕は演者から表現者へーー。

 「なぜここでこんなことをしているか、わからなくなるくらいに、その怒りと、憤りと、不安を、この動きに込めて!」

 どんなありきたりな感情であろうと、どんなに単純明快な概念であろうと、それを真剣に体現できればその人はもう表現者なんだ。一気に駆け上がる“表現”への欲望は、僕の脳天に突き刺さっていた青いトゲを少しずつ溶かしてく。…否、溶かしていると思い込む。僕はこの時、怒りという感情をどう他者に伝えれば良いか知らなかったし、そもそもそれは他人に伝えるべきものなのかも分からなかった。けれどそれを必死に伝えようとしたあの瞬間の自分は、一種の美の体現であると、時を経た今でも信じている。

 用意していた泥や絵具が無くなって、メンバー全員の体がいい具合にグチョグチョになったところで、僕は丁寧に白く塗られた消化器をひっそりと舞台の隅から取り出した。消化器アートなんて、世の偉大なパフォーマンスアーティストたちが聞いたら鼻で笑うだろうけど、僕たちの青さがそれを享受するだろう。

 ブシュアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

 薄紅色の粉は一瞬で全てを覆って、滞留する僕らの色を塗り変えた。



  結果として「消化器事件」の人的被害は思いの外少なかった。パフォーマンスが盛り上がってきた段階で観客は後列に避難し、教授は会場を退出していたらしい。加えて大学助手が火災報知器を鳴らさないよう空気を遮断してくれたおかげで、僕に対するペナルティも思いの外少なく済んだ。僕は卒業まで「消化器の人」と呼ばれることになったけれど、記憶の在り処となったその通り名に悪い気はしなかった。

 今やあの感情がどこに行ったのかわからないし、どう生まれたのかも手触りとしては思い出せない。けれど、一度生まれた青年の激情はひっそりと記憶という形で残り続け、時折僕が人生を再考した際に喝を入れてくるのである。

 「つまり、こういうことだろ!」という7年前の叫びに、午後の紅茶の香りを添えて。




(写真はパフォーマンス後の舞台)

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