#7「社員」に対する私の想い ありたい会社の姿
代表取締役社長の永井です。
今回は、「社員」に対する私の想いについて記していきたいと思います。
私が子どもだった頃、父が営む看板工事会社の工場に行くことがよくありました。
父も母も仕事をしていたので、そこで働いていた従業員の方たちが時々親代わりになって、面倒を見てくれました。
子どもの目には、皆さんが家族のように見えたし、楽しく仕事をされているようにも見えました。同じ会社で一緒に働くってこういうことなんだな。そんなイメージが私の中に形づくられていきました。
時は移って社会人1年目、私は一度は投資会社に就職したものの、父の指示
ですぐに退職。その後、家業に入ることになります。
すると、大人になった私の目に映る社員の姿は、子どもの頃のそれとは違うものになっていました。
短い期間だったとはいえ一般企業に勤め、また就職活動の過程の中で企業とは何たるかを自分なりに学んだことも背景にはあったと思います。
企業は、社員を労働力として見るだけでなく、社員の人生を支えているという認識を持つべき。
おぼろげながらもそれくらいのことは分かるようになっていました。でも当時、父が経営していた会社の状況は、あるべき姿とは程遠いものでした。
私が子どもの頃の会社の状況
労働力の対価を報酬としてできる限り安く支払う。
企業と社員の関係性は、ほとんどその一点に集約されていました。
企業としてのミッションやビジョンはなく、もちろん社員のキャリアパスに目を向けることもありませんでした。
そうした状況で働いていた方たちに対して、私は自然と疑問を持つようになります。
今となっては、すべきでない質問だったかなとも思いますが、当時まだ20代前半だった私は「なぜこの会社で働くのですか?」と彼らに問うていたのです。ほとんどが次のような答えでした。
「このあたりの地域の中では一番良さそうな仕事だったから」
「俺にはこれぐらいしかできないから」
「何もできない俺みたいな人間を拾ってもらったんだ」
いわゆる、昔ながらの「御恩」と「奉公」の価値観。
それはそれで時代としては1つのカタチかもしれないですが、私はそこに違和感を抱き、変える必要性があると考えるようになっていきました。
社員の人生が加速する企業でありたい
やはり企業とは、社員に給料を払ってさえいればよい存在ではなく、社員がその職を選んだことでより良い人生を送れるようになる、そんな存在であるべきだと思うのです。
スタートラインは、人によって異なるのが現実です。
経済が成熟した日本で生まれ育つのと、貧困にあえぐ国で生まれ育つのとでは、どうしたって同じ地点からのスタートとは言えません。当時の会社で働いていた方たちの多くは、とりわけ学歴やキャリアの面でハンデを抱えざるを得ない環境に身を置いていました。
だけど、縁あって私たちの会社で働くことになったのであれば、
それまでの人生がこの場所で加速してほしい、と私は考えました。
この会社での経験を得ることで、より豊かな人生を送ってほしい。
企業とはそうした役割をも担う存在であるべきだという思いは、日に日に強くなっています。
次回は、社員の人生を加速させる企業がどのようなことが重要か、「2つの幸福」の観点から私の考えをお伝えします。