理不尽なパワハラ上司につける薬

うかうかしている間に2022年が姿を消し、2023年が滑り出した。
まったくもう、時が進むのは早いな。

12月はびっくりするくらい忙しい。
仕事は「今年のうちに」って締切やら打ち合わせやら詰め込まれていくし、子どもの習い事の発表会や保育園のイベントで土日がなくなる。
クリスマスには料理やケーキやプレゼントを仕込み、間に合わせないといけないし、その合間には忘年会。そして二日酔いの体に鞭打って大掃除やら年末年始の準備やら….って気がついたら例の歌合戦を酔っ払いながら見ていて年が明けた。あけましておめでとうございます。

このようにあまりにも忙しいので作業脳以外は思考停止しており、
12月も中旬に入ってから生まれた案件に関しては
「年明けなるはやでやります」
ってとりあえず棚上げしていたものに今私は苦しめられている。
3連休明けまでお正月休みっていうことにしてくれないかなー。

3連休初日の本日は、息子を旦那に連れ出してもらって遅れている仕事に専念させてもらった。休日の仕事は誰かからのLINEで急ぎの対応しなきゃいけないみたいカットインが少ないから集中して仕事できる。あったかい日差しに包まれて、マイペースに作業をしていたら、ふとnoteに書くべきことが浮かんできた。


小さい制作会社にいた時に、直属の上司がパワハラ気質なやつで、敵とみなして戦っていた時期がある。
自分の価値を高めるために人を貶めるようなタイプで、編集長という名前だけは譲らないが経験は乏しく、「任せるよ」っていう割には問題が起こるとネチネチと叱責され、簡単な質問はすぐに返事をくれたけれど、難しい選択について相談するとスルーされた。
言うことも滑稽だし、勉強もしないし、どう考えたって私の方が仕事をしているし、どう考えたって私の方が仕事の質も高いし、どう考えたって私の言い分の方が正しいでしょって思ってたけれど、不思議なことに私の味方になってくれる人はいなかった。

同僚や部下は一緒に悪口を言ってくれたけれど、社長や幹部は「確かにあの人ね….」なんて同調だけしてかわされた。報われることのない日々にあの頃は毎日がとにかく苦しかった。でも今ならわかる。パワハラ上司と同じように私も裸の王様だったのだ。

気づいたのは、当時の彼氏に愚痴をこぼしていた時、「パワーで押さえつけようとしているやつにパワーで対抗してるから、どっちもどっちって思われちゃってるんじゃない?」という指摘だった。「みんな君が頑張ってるってことはきっとわかってるんだから、公の場で攻められたらチャンスとばかりに“ひどいです…”ってホロホロと泣いてやればいいよ」と。目から鱗だった。

それまで私は自分の視点しか持っていなかった。自分にとっての正しさばかりを追求し、そもそも私がどう見られているかということを考えたことがなかったのだ。

私が上司と言い合いをしているとき周りの人はこんな風に思っていたかも。
(鼻息荒いなぁ〜〜あんな部下は怖い怖い)
(あの上司は最悪だけどあの子の言い方も一方的よね)
(主張は正しくても生意気で認められないな)
知らんけど。

周りが全く見えないほど私はウブで必死で承認欲求に飢えていた。
そして、軽蔑していたそのクソ上司にすら自分を認めて欲しいとぶつかっていたのだと気づいた。自分キモっ!!!

そんなこんなでクソ上司へイライラし続けた自分をメタ認知すると、仕事上の彼の態度や能力に全く興味がなくなった。むしろ簡単に理解されたくないと思うようになった。
逆に改めて彼は会社において私の立場を左右する存在であるのだと認識し、自分のために彼を利用しようと決めた。ただでさえ忙しいのに敵対しているのはコスパが悪い。仲良くする必要はないけれど普通でいよう。
そして翌日から笑顔でひとこと話しかけることにしたのだ。
するとみるみるうちにヤツは懐柔されていった。


このエピソードは、自分のことを客観的に見ることで状況を理解できるようになったっていうことでもあるし、自分が変わると相手が変わるっていうことでもあるし、人は自己防衛のため無駄な戦いをしがちだっていうことでもあり、ムカつくヤツは悲しいけど自分に似ているところがあるっていうことでもあり、私にとっては示唆に富んだエピソードである。

で、新年に思ったことは、時を経てもふと思い出されるエピソードや言葉に今の私を形作っているエッセンスがあるのではないか、それをあらためて自覚することで進むべき道が見えてくるのではないか?ということである。
このnoteにはそんなことを綴っていこうと思った次第である。






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