事業家は選択肢を持てる唯一無二の存在
Profile
深澤息吹(Ibuki Fukasawa)
採用支援事業部 マネージャー
2022年 新卒入社 早稲田大学卒
1年目より、採用支援事業部にて日系大手のクライアントを担当し大手デベロッパー、総合商社を中心に採用コンサルティングに従事。全社横断のプロジェクトにも参画後、2024年4月より営業統括本部マネージャーに就任し、事業部の事業成果を主導。
わたしのベース:
自分の人生。”自分で頑張るしかない”と昔から思っていた
『自分の選択を自分で正解にする。』
どれだけ恵まれた環境にあっても、最終的に成功の要所が『自分で頑張るしかない』という事実は、あまり皆が言葉にしない世の中の本質。今回、話を聞いた彼女は幼少期からずっとそう思っていたという。
「『自分が頑張るしかない』と思っていた理由が2つあって、1つは3歳から18歳までずっとクラシックバレエをやっていたことが影響しています。チームは常にヨーロッパやアメリカまで留学に行く子が結構いて、今でも連絡をとる子で5.6名ドイツやパリで活躍してるバレリーナの子がいますね。ついてこれない子は辞めていくような結構ガチな環境でした。その中で、自分の役をもらえるかどうかは『常に自分が頑張る』しかなかった。主役は1つだし、結構年功序列的なものもあったんですけど、同年代での中でも一番良い役、ソロで踊るのはみんなの憧れだったりするので、それを勝ち取るっていう意識が幼稚園の年少くらいからありました。毎年発表会で一番良い役をもらえるかっていう環境だったので、そこでまず自分が頑張るというのが染みついた。もう1つは親があまり介在してこなかった。学校の成績とかも親が何かを言ってくるわけではなかった。だから自分が自分で頑張らないといけなかった。」
中学2年までは自分もヨーロッパに行って、5.6個上の先輩たちと同じようにバレエの道に行くと思っていた彼女だが、あるコンクールに出たタイミングで世界レベルには達していないことを知り、他の生き方に目を向けるようになる。
結果的に、大学の途中までバレエを続けた彼女だが、大学からはジャズダンスに目覚める。
「バレエは決まった形があるんです。でもジャズダンスは正解がない。上手いとかはあるんですけど、正解がない。それがバレエとジャズダンスで一番違ったと思っているところですね」
そんな正解がないジャズダンスに大学から夢中になり、最後の卒業公演では180名を超える団体を代表として主導し切ったとのこと。
そこも彼女の自分が決めたことを自分が頑張る部分が発揮されているのであろう。
わたしの就活:
果たして大手で自分が何かをしたと実感ができるのか?
「親が普通に日系大手で20年間働いてきたみたいな人、終身雇用ですという感じでした。なので、自分も早稲田だし、エントリ―も大手中心に考えていて、そのまま大手に入るんだろうなって、大学2年生、大学3年生の時は思っていました。」
そう話す彼女は、就活初期にはコンサル、金融、広告、メディア、食品メーカーなどを幅広く受けていたという。
しかし、そんな彼女も就職活動を進める上で大手企業で実際に働く先輩に話を聞いたり、合同説明会で大手企業の話を聞く中でだんだんと違和感を感じるようになったという。
「日系の誰しも憧れたり名前を知っている大手で働いている先輩に話を聞いた時に『土日のダンスが生きがい』みたいな話を聞きました。その方は結構長く働いていて、平日の5日間よりも土日の2日が生きがいという話を聞いた時に、それって本当に安心や安定なのか?あと『そんな人生って楽しいのかな』って思ってしまって、正直自分はそういうしんどい生活をおくりたくないなって、自分は残りの5日間も楽しく過ごしたいと考えていたのが1つ。
もう1つは大きい会社の説明会を聞いた時に、その中で出された階段みたいなスライドがあって、何年目でこの職になります、何年目でこれができるようなります、みたいなのが、自分にとってはすごく長い道のりに感じてしまった。多分5年とか10年とかのスパンで書いてあったんですけど、道のりが遠いなと思ってしまって。いわゆる従業員が多い会社に入った時に、『果たしてそれは自分が何かをしたと実感できるのか?その中での自分の介在価値って何なんだろう』と」
そんな彼女の人生のモットーは『楽しい人生を送りたい』という考え。
その理由についても、また、それを踏まえたうえでの就活で企業を選ぶ際に大事にしていた軸についても教えてくれた。
「大前提として、自分の人生、楽しい人生を送りたいというのが一番のモットーとしてありました。そして、どんなことができていれば楽しい人生なのかというのが、自分の中には3つありました。①同じ目標にみんなで走って、何かを成し遂げる ②誰かが楽しんでいる、自分以外の人が幸せを感じていること ③自分で携わった価値、達成感を感じられること。これらのことを大事にしたい中で、3つの軸を就活では持っていました。
1つはミッションに共感できる。同じ仲間と同じ目標に向かって走ることができるか。
2つ目は圧倒的な成長環境と事業の手触り感
3つ目は会社の規模が大きくないところという部分です。」
「リーディングマークはたまたまミキワメLIVEという合同説明会の中で知りました。合説で出会って、そのあとカジュアル面談をして『世界中の人々の自己実現を支援するっていうのがミッションです』という話を聞いた時にとてもミッションに共感できるなと思ったのが、リーディングマークを受けようと思ったきっかけです。
私は元々同じ目標に走っていて、かつその誰かが楽しんでるとか、人の幸せな姿を見るのが自分の幸せだなと感じていたので、まさにそれは自己実現を支援することだと思ったら、すごく自分も楽しんで働けると思って入社を決めました。」
そんな彼女にリーディングマークに入社するにあたっての葛藤はなかったのか聞いてみた。
「葛藤はなかったです。軸にも当てはまっていたし、今この選んだことが正解かどうかなんて誰にもわからないし、今決まるわけでもない。選択を自分で正解にすればいいかなと思っていたし、選択を自分が正解にできる環境がリーディングマークにはあるなと思ったので。別の会社の内定もたくさん頂いていましたが、最後はリーディングマークに決めました。」
わたしのキャリア感:
事業家として必要な力を最速で
「私たちの世代は入社初日に経営陣にリーディングマークの中期経営計画をプレゼンする、3年後、5年後の経営計画を立ててきて発表するというのがあったんです。当時は最速で成長したいという気持ちで、内定者時代に『どうする?やる』と当時のリクルーターに聞かれて、『やります!』と答えたんですけど、途中課題が難しすぎるし、ダンスの卒業公演も控えていたし、なんで私はこんなにしんどい思いをしているんだと思ってましたね。ただ、同期と話し合いながら進めるのは楽しかったです。」
入社初日の難題を乗り越えた彼女。初期配属は自ら採用支援事業部SCM(Sales & Client Marketing)を選択。リーディングマークの中でも外資・日系大手のクライアントを相手に営業を行う部門である。
「事業家として必要なスキルはやはり営業が一番最速で成長できて身につくと思っていました。入社した翌日には先輩からクライアントの引継ぎがあるんですが、お客様のリストを見た時に『こんなに自分も誰もが知っている企業を担当させてもらえるのか』とプレッシャーがかかったのを覚えています。また、同時に担当させてもらえることへの期待もされているんだなと思いました。」
そして、彼女は入社から3週間という短期間で、誰もが知る大手素材メーカー企業から初受注をすることになる。
「期待に応えたいという気持ちと、先輩からの引き継ぎ、また先輩に同席してもらって、会社説明の仕方、提案も一緒に考えて、そのあとの追客まで教えてもらえた。そして受注が決まった時は全社が喜んでくれた。自分が主役になるようにやってくれた感覚があってもっと期待に応えたいと思うようになりましたね。」
自分自身に期待をかけられること、そして、その期待に応えることが事業家としての成長角度を上げるリーディングマークの抜擢の在り方だと彼女は話す。
入社して半年後、さらに大きな案件を任されるようになる。
わたしの変化:
自分の中でスイッチが入った
「自分の中で何かスイッチが入った出来事があります。それはある大手企業のインターンシップ設計の仕事の中の出来事です。」
そう話す彼女は順調に営業として成長を重ねてきた。だが、インターンシップ設計の仕事は通常の営業と異なる。日本を代表するお客様の新卒採用の根幹を担うインターンシップをまさにハンズオンで創り、伴走しきる非常に難易度の高い仕事だ。
「最初は自分がやっているというより、副社長の戸田さんや当時の先輩が中心に進めてくださっていて、自分はそのお手伝いという感覚が強かったんです。ですが、あるタイミングで自分がそのインターンシップのグローバルコースを0から創ることの担当になりました。ただ、それも最初は先輩に言われたことをやっているという感覚でした。」
当時は先輩の手伝いとしての動きしかできなかったと話す彼女だが、1つのコースの設計を任されることの自分への期待を感じると同時に『自分のミスで日本を代表する会社の採用がダメになるかもしれない』というプレッシャーも相当感じていたという。
新設されたグローバルコースは実際のその企業の海外拠点を舞台にした題材で、その舞台をベースに学生達が議論を交わす内容であった。
そんな中、彼女が主体となって設計を進めるにあたり、お客様と議論を重ねる中で彼女は違和感を覚えたという。そして、彼女はある行動をとる。
「今回の題材の舞台は台湾だったんですけど、インターンシップを設計するにあたって実はお客様を含めて誰も現地に行ったことがなかったんですよね。なので、どうしても具体的なレベルの話になると想像での話が多かった。そこに違和感を感じていました。
進めていく中で、自分もちゃんと現地を見て設計しないとただ計画を練っているだけであって、作り絵のようなものになってしまうと思った。『自分でこれは現地の土地や物件、人を見た方が良いな』と思って、とりあえず行こうと決めて、特に誰にも相談せずに実際に台湾に1人で行って帰ってきたんですよ。そうするとそのあとのMTGからお客様からの見る目がかなり変わったのを感じました。今までお客様の目線は先輩達に対してだったんですが、自分に向くようになったのを感じましたね。その後、実はお客様自身も現地に行ってくださったりもして、その時に『自分がお客様のために行動したこと』でお客様が変わったと思いました。それを感じた時に自分の中で何かスイッチが入りましたね。」
実際に彼女のこの行動がきっかけにインターンシップ内容の改修に繋がり、より良い学生のアウトプットが出るようになったとお客様からの評価も頂けた。さらにインターンシップ経由から複数の内定者がうまれたという。
「自分がお客様のために行動して、その後、戸田さんや当時の事業部長に『深澤さんちょっと変わったね』と言われたことは今でも覚えています。」
事業家とは:
事業家は選択肢を持てる唯一無二の存在
彼女が初めて『事業家』という存在にリアリティを感じ始め、解像度が変わったのは2年目の秋に事業部予算の約50%を占める商材の企画に携わった時だという。
「1年間のプロダクト企画(売上/コスト/利益)を実施し、営業資料まで自分で作成させていただきました。その経験が一番事業家としての『創る』ってこういうことなのかということの解像度がめちゃくちゃ上がったタイミングでした。不確実な未来に対して、0から未来を創っていくことが求められるんだなと、事業家の入り口を感じた経験でした。」
そして、3年目から営業統括部門のマネージャーに就任した彼女。
自身にマネージャーとして、事業家としての資質があるのか日々葛藤しながら前に進んでいる。
「3年目に正直マネージャーになるかもしれないと思っていた部分はありましたが、期待をかけられているなという気持ちと、不安とプレッシャーなど様々なものが混在していました。
特に採用支援事業部の場合は幹部会という会議体があって、それにマネージャーになれば出席するんですが、そこに出始めて、より会社が、事業家がこういうことなのかと感じています。創って、作って、売るじゃないですけど、会社の構造をちゃんと理解する場だし、自分がそこに与える影響とか、自分も事業家として携わっているという感覚が強いですね。」
マネージャーになり、また事業家としてよりストレッチな期待をかけられる彼女。
そんな立場については『何かを背負っている感覚がずっとある。メンバーの人生や会社の未来。しんどいから手放せるとか降りるとかもできない。でも背負うことができている幸せ、心地よいしんどさを体感できている。』と話す。
そんな彼女に最後、改めて『事業家とはどういう存在か』そして、『将来の展望』を聞いてみた。
「事業家は『強い覚悟をもって、仲間を巻き込みながら事業を推進し、期待され、期待を超え、誰にでも必要とされる存在』かなと思います。事業家は自分が成果を挙げるし、自分が組織をつくっていくこともできる唯一無二の存在なので、将来の選択肢は一番広いと思っています。」
将来の展望については。
「最初に話をした『楽しく生きたい』を実現していきたいですね。楽しく生きるためには選択肢が多い方が良いし、自由に選べた方が良い。自由に選択するという意味でお金の話とかも出てくるかもしれないですが、正直お金の面では自分の周りより自分が一番稼いでいるので、全く困って無くて、それよりもライフスタイルが変わっても、自分がやりたいことをやりたいときにやれる力を身に着けることが一番大事だと思っています。
その意味では先にお話した事業家として成果を出して、常に選択できる側になっておく、そのために今後も期待を超えていきたいと思っています。」
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