#17 銀河の犬と水玉~曼珠沙華の伝言~
第9章 光を求めて
裁判
障害年金はついに第二審を迎えたが、同じく棄却された。
日本は立場の強いものが勝つという恐ろしい審査しかしていない国であった。
私は4年間で15箇所の病院を回り、どこも病名を知ってる医師が居なかった為に、東京の専門医でやっと確定診断がついたのだ。
その病院の治療法では効果が得られず、違う治療法を探して東京の2件目の専門医に申請の診断書を書いていただいたら、
その日を初診日と断定されての却下だった。
障害年金と言うのは、申請する初診日は確定診断の日にあらず、初めてその症状が出て歯科又は病院を受診した日のことであると定義づけているのは年金機構なのに、なぜ、自分で設定した定義を守らないのか謎でしかない。
この病気は6ヶ月以上、繰り返し又は継続して症状が出ることで初めて確定診断がされる病名である。
であれば、確定診断の時には少なくとも患ってから半年以上は経っている。
よって、確定診断が初診日となるはずが無いことは、年金機構自身が定義づけていることである。
日本に十名余りしかいない専門医が確定診断しているのに、その医師に一度も照会すること無く、却下するならば、この県の認定医は、専門医以上の知識と経験があるというのか?
患者を一度も見たこともないはずなのに。
受け入れてる病院は何処にもないのに。
その矛盾を指摘しても、答えようともしない。
因みに障害年金の認定医と言うのは医師免許さえあれば研修医でもなれる。
認定医としての資格や試験などは無い。
今の地元の現状から見ても認定医が慢性疲労症候群CFSを知っている筈がないとしか思えなかった。
2度目の確定診断をとりあげた理由も「わからないがそうした」との返事であるにも関わらず、第二審の審査官は、話をそらし助け舟を出し、「それはそれで」との捨て台詞で終了していた。
このような不正な審査が行われているのは、稀な事ではなく、2012年まではバブルのように通りやすかった審査が、急に何としてでも通さない、というような不正な審査へと変わっていたのだった。
指定難病になっていない、原因不明で治療法もなく、医師もわかっていないこの病気は格好の餌食とされていたのだった。
明らかに間違えている判断なのに、なぜ、勝てないのか?
「国が相手だから、裁判しても勝てるはずがない」
そう皆が口を揃えて言った。
相談した弁護士すらも。
この国の真の恐ろしさを私は思い知る事になった。
裁判をするか、泣き寝入りをするか、迷う時間にも期限はあった。
不服申立てをするなら半年以内に訴状を出さねばならない。
しかし、まず弁護士を探さねばならない。
勝てるはずのない裁判を受ける弁護士はいない。そして特殊な難病の知識を持ってくれなければ勝てない。
そこまでの情熱を持ってくれる弁護士を見つけるのはほぼ、無理である。
そして着手金と実費がかかる。
生活費もままならず、困っているから年金を申請しているのに、その不服申立てをする為に、何十万円もかかるのだ。
そして周りの声は、バカなマネはよせ。勝てるはずがない。有名でもないアナタ1人が行動したって何の影響もない。何も変えられるわけが無い。
同じセリフを皆に言われた。
それでも私には意味がわからなかった。
自分で言った定義を破り、確定診断を否定する医学的根拠など存在するはずがないのに、認定医が絶対権力として、間違えてもその判断は覆ることがない。そんな審査は、誰がどう見てもおかしいのに、なぜ、負けるのか?なぜ、それを全員受け入れているのか?
日本はヒットラーに支配された国なのか?
歯向かえばガス室へ送られるのか?
なぜ、当たり前におかしい事をおかしいと言う人がいないのだ?
なぜ、間違えを指摘するのに何十万円もかけて、時間と労力削って、個人情報は晒されて、闘わなければならないのだ?
この国はこのままで本当に良いのか?
そんな事を見て見ぬふりをして、本当にいいのか?
そのまま納得して死ねると思うのか?
私は今、「なんで?おかしくない?」と声をあげなければ、死ぬその時まで後悔しかないだろう。
私には「裁判を諦める」という選択が出来るはずが無かった。
裁判をする事で更に寿命を縮める行為になろうとも、私の生きる理由は既にジュビ子の為でしか無かった。
そして私は裁判を始めた。
生きる理由
救急車で何度か運ばれた時、発作が起きて本当にもうこのまま死ぬのではないかと思った時が何回もあった。
初めは余りの激痛から、解放されたいと願った。
こんなことがいつまで続くのか。
痛みに終わりはあるのか。
死が過ぎるほどの痛みを感じながら、これ以上の悪化がまだあるのか?と不安と恐れでいっぱいだった。
いつも最終的に生きることを選べるのはジュビ子の存在だった。
ジュビ子を拾った責任感。もちろんそれもある。
ジュビ子は1度、飼い主に捨てられている。
私が死んだことがわからずに「帰ってこない」状態が続くことで、捨てられたと思わないで欲しい。
2度傷つけることはあってはならない。
仕事も出来ず、友人と遊ぶ事も出来ず、長電話すら疲れて出来ず、文字も読めず、家事もできず、1人でお風呂やトイレも行けなくなり、起き上がることも出来なくなり、
誰のためにも何の役にも立たなくなった時、そこに生きる意味があるとは思えなかった。
それでも、何も出来なくても、何も持たなくても、ジュビ子は私を必要としてくれていた。
私にとってジュビ子が生きててくれるだけで幸せをくれるように。
ジュビ子にとって、私は存在してるだけで良かった。
生きてるだけで、全てを受け入れてくれたジュビ子を置いて行く事は絶対に出来ない。
一生に一度のとんでもない念力を今、集中させて使ってでも、何としてでも、私はジュビ子を看取るまでは死ぬわけにはいかない。
そう強く思って痛みを堪えていた。
裁判をする事で更に寿命を縮めることになっても、ジュビ子を看取ることさえ出来れば構わなかった。
どうせ何も出来ない命なら、ジュビ子を看取るまで愛すること、そして全力で私にしか出来ない事をやろう。
裁判は、不正な審査をされた私だから出来ること。
誰でもできることでは無い。
たまたまであっても、私はその不幸に当たった。
その役割が出来る立場に選ばれてしまった。
もう何も出来ることの無い私に、唯一出来ることなら、やるだけやってみるしかない。
これで全てが変えられるとは思わない。
勝てないかもしれない。
それでも、何も残らないはずがない。
初めの一歩は小さな一つの足跡だ。
それが少なくとも誰かを何かを少しでも揺らせたのなら。
続く足跡が増えたなら。
必ず道が出来る。
その一歩は、諦めなかった人にしか付けられない。
一歩だけで終わるかもしれない。
それでも、その一歩は永遠に残る。
いつか誰かに届くかもしれない。
少なくとも私の裁判に関わった全ての人の記憶には筋痛性脳脊髄炎(ME)/慢性疲労症候群(CFS)という病名が知れ渡る。
病名の啓発になるだけでも構わない。
もう私にはそれしか出来ることがないのだから。
全てをかけてそれをやる。命をかけてそれをやる。
そうすることで、私はやっと「生きる」事が出来たのだった。
流れはじめる
裁判の周知と、啓発も兼ねて私自身がこの病気を勉強する必要があった。
患者会や、個人の患者さんのイベントなどにも顔を出し情報を集めていた。
そこで繋がった患者さん達が、裁判を応援してくれた。
そして再び最初の確定診断をしてくれた医師が、今は新しい治療法もやっている事を知り、また受診させて頂けることになった。
Bスポット療法(EAT)と呼ばれる上咽頭炎の治療法だった。
裁判をする上で、どうしても頭がアホになっていく事がネックだった。
大量の資料を読まなければならない時もあるが、頭に入らない。意味がわからない。何度読んでも理解できない。
解釈を間違えれば、トンチンカンな意見を放つことになる。
その点でBスポット療法は効果があった。
私は特に酷い炎症で、毎週やるべき所を、東京へ行くにはヘルパーさんにお願いして車に乗せてもらい移動なので、月に1度が限界だった為に、治療の効果も感じるまでに時間がかかった。
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