絶対大丈夫なんて100%ない
筆者の長年の悩みがありまして、心も身体も疲れ切って重い身体を引きずるような生活を続けているにも関わらず、いざ人と会えば何ともないよーという態度で他人と話したり、他人に向けてくだらない冗談を言い合って笑ったりといった言動をほぼ無意識に、そして日常的に行っているという毎日を送っています。
筆者は独り暮らしなので、自宅にいる間は当然話し相手もおらず自分の世界に浸っていられるのですが、やはり人と話したり笑い合ったりすることに幾ばくかの癒しのようなものを求めているんだろうかと考えることがよくあります。
一人でいることに耐えられないということではないと思うのですが、常日頃から何かを考えずにはいられない、いわゆる「無」になり切れない自分が普通だと思っていたのが実はそうじゃなくて、何かを考えることで自分の中にずっと潜んでいる「孤独」を埋め合わせているんじゃないかという意識に気がつき始めたということなんだと思います。
今年の5月にnoteを始め、様々な観点から自分や周りのことについて見つめ直す機会が多くなり、それらを備忘録のように書き溜めていくうちに、もともと心の中に生えていたネガティブの木が完全に根付き成長して筆者の現在を支配している(それが事実か思い違いなのかはわかりませんが)ような気がしてならなくなり、それが一本、二本と増えていっている、そんな考えが頭をよぎるようになりました。
少し前の話になるのですが、筆者の心の支えとなっていた友人から「今、幸せ?」と突然尋ねられたことがあり、その時は「幸せではないかな」と答えたのですが、その頃はまだ自分もいつかは幸せだと思える日が来ると信じてそう答えたんだと思います。それがまさかこんな深刻な状態にまで沈められるとは思いもしなかったので、そのような言い方に留めたのかなと最近考えるようになったんでしょう。
また、先の友人から「これまであなたの人生を支えて来たものは何?」と尋ねられたこともあったのですが、その時は「プライド」と答えたのをよく覚えています(自分で言っておいて自分が忘れてしまうこともよくあるのですが、その頃からずっとそう信じてきたというのもあって覚えているんでしょうね)その答えに対して友人はそれはすごいことだよという返事がきたのですが(どちらもLINEでのやり取りでしたので)
確かにその頃はこの身一つで自分を支えて来たという自覚があったと自信を持って言えたと思っています。それがなければこのようなブログを書いたり何かを発信したりすることなど到底出来なかったでしょうし、それは今も変わらないと断言できます。
しかし、それでも尚筆者のプライドをズタズタに切り裂いたりぐちゃぐちゃに踏みにじったりする人間は未だに次から次へと現れます。そうした悪意に満ちた連中のことは一生許すことはできませんし、筆者が死のうともその恨みは消えることはないでしょう。ただ、それが怨念となって現世を彷徨うことにならないか心配ではありますが。
ですが、筆者の思いがあまりにも理想的すぎるのか、多くを求め過ぎてしまうところもなきにしもあらず、という意識に気付き始めたのも事実で、他人にも自分のプライドやこだわりを押し付けるようなことをしていたんじゃないかと思うことがあるのも否定できない現実です。正直なところ、筆者がADHDのような先天的な発達障害(だったのか現在進行形なのかも不明です)なのかうつ病やパニック障害のような後天的な精神疾患なのか、それすらわからなくて混乱するほど近年の筆者の言動に異常が感じられるようになったのも間違いではないと思いますし、何処かで誰かを傷つけてないか、嫌な思いをさせていないか、他人の顔色を伺うように生きることが嫌になってしまい、いつまでもいい人ぶって褒められて単純に喜ぶような振りをする性分を捨てて、自分は偽善者なんかじゃない、むしろ偽悪者にならなければこの先生きていけないと見知らぬ自分(潜在意識なのか本性なのかすらわかりませんが)に言われているような気がしてならないのです。もちろんそこで悪人ぶって他人を攻撃するような浅はかなことはさすがにやりたくはありませんが。
そんなこんなで2024年も間もなく終わろうとしていますが、筆者の意識とは無関係に降ってかかる事実に精神が限界を迎えたのか、今年最後の診察の日、それまで抑え込んでいたものがぷっつりと切れたのか涙が止まらなくなり、かれこれ10分ぐらい無言でぼろ泣きしてしまい、その間主治医も黙ってくれてはいましたが、何故こうまでして自分が生かされているのかという自問自答の繰り返しだった一年を棚卸ししたような気持ちになってしまいました。泣いてすっきりするなんてものじゃありません。泣こうが喚こうが現実は変わらないのです。わかっていても感情の抑制が利かなくなっているんだという無念さが筆者がかつて答えた「幸せではないかな」とか「プライド」といった言葉が少しずつ、確実に壊れていっているという現実を見せつけられた年末でした。
辛い思いを抱えながら毎日を懸命に生きていらっしゃる皆さまに、来年は少しでも多く幸せが届くことを願います。
どうぞよい年をお迎えください。
ではまた。