居たい痛い異体

希死念慮の塊です。生きてて楽しいと思うことがあまりありません。ライブ行って楽しかった!褒められて嬉しかった!上手くいって満足!って思ったとしても、3秒後には悲しく寂しい気持ちになって、次のしてもない失敗を憂うのです。ゴミみてぇな性格。

私は人前ではかなり明るく誰とでも身振り手振りを使って大袈裟に話します。そうした方が明るく楽しく見えるからです。印象がいいのでバイトもあまり落ちません。それこそ落ちたのは日程が合わないとかそもそも条件が合わなかったことくらい。(きっと人格があわないってのもあったんでしょうけど、表向きはそれはなかった)

それが幸にも不幸にもなる。

私には悩みがないと思われるのだ。普段から死にたい死にたいと口をついて出そうになるのを必死にこらえて、道路に飛び出したくなる足を必死に抑えて、飛び降りたくなる衝動を必死に隠している。そんな私に、「悩みがなさそうで羨ましい」なんていうもんだから呆れて言葉も出てこない。

お前のその一言も私にとっては大きな悩みの種だわバーカ!!死ねボケカス!!!

何度これを言いかけてやめたことか。

私は私が幸せそうに見えるのが不思議でたまらない。こんなに目が気持ち悪い人は地球のどこを探してもいないと自負している。

ギョロリとしていて奥目のせいで真っ黒な瞳は「見抜いてやる、全部見てやる」と強い意志を見せつけている。

目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだが、実際幸せそうに見えるんだからみんな大して私の事なんて見てないのだ。

私は沢山のものを諦めて生きてきた。

幼少期はみんなの頼れるお姉ちゃんになる為に大人に甘えることを捨て、小学校にあがり周囲に溶け込むことの必要性を知り自分の考えを捨て、中高では親のサンドバッグになるために自分の心を捨てた。

行きたかった高校への進学も、そこから先の大学進学も「お前には無理だ。」と言われ泣きながら諦めた。

だから未だに意味もなく大学に通って親金で呑気に過ごしているやつが大嫌いで、見るだけで吐き気がする。

もっとも、全ては私の妬みなのだけど。

新しいバイト先はとても恵まれている。彼氏も優しいし親ともなんだか最近はいい感じ。

なのにずっとおかしいのだ。

気を抜けば泣き叫びながら道路に突っ込んで車に向かって猛ダッシュしたくなる。

帰り道で涙が勝手に出てくる。

別に疲れてる訳でもないのに動けない。

もともと精神疾患を患っているのはそうだけど、薬で調子が良かったこの頃とは打って変わってクソみたいな調子なので余計に不安なのである。

きっと、去年までの当たり前が今跡形もないことが不安要素のひとつになっているのだろう。

去年住んでいたアパート、去年仲良しだった友達、去年初めて入った業界のバイト先の仲間、去年泣きながら歩いた夜道……。

全てが変わってしまった今年も同じ季節が巡ってきて、金木犀が香っている。

希死念慮を助長させる香り。

あぁ、また生きのびてしまったのだと強く強く思う。

気持ち悪い思考に取りつかれて衝動的に家を飛び出したあの日も、精神をすり減らす汚いバイトに向かって歩いていたあの日も、いつだってふんわりと香ってきたあの匂い。

小さい頃は甘い匂いが何処と無くしてきて不思議でたまらなくて大好きだったのに、いまじゃこんなザマである。

何が書きたいのか全く分からなくなってきた。

とにかく、私は今幸せが怖い。

褒められても上手くいっても好きでも愛していても好かれていても愛されていても許しても許されていても怖い。

間違いなく幸せの中にいるはずなのに。

これじゃ、親金で「暇だわ」だの「だりぃわ」だの呟きながら意味もなく大学に通っているやつと同じではないか。

あぁ、また死にたくなってきた。

私のような価値のない人間がなんのために生きていくのか。生きる意味があるのか。全く分からない。

生きる希望も理由も見いだせないのにリタイアだけは許されていないから生きるしかない。勝手に産み落とされてこれだなんて、拷問に等しいだろ。

夢見るのだけは許されたいな。

暖かく優しい夢が見れますように。

おやすみなさい。



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