プロフィール(2回目)
名前:とまよこ りゃんシー
父も母も発達障害傾向がある。母はアスペルガー&ADHDで父はASD。育児怠慢と呼べる状態で育つ。離乳食初期に固形物を食べ腹を下す、歯磨きをしてもらえない、母乳を与えてもらえない、ベッドに放置で頭蓋骨が変形する等。お菓子を漫然と与えられ、遊びも放任。
幼稚園でスカートめくりをして男子に混じって先生に怒られる(動機の記憶なし。困らせると楽しいから?)。年長の作った山を勝手に壊して反感を買ったり遊具を占有したりするなど浮いた行動が目立つ。小1の時、女子のパンツの色を大声で叫んで絶交されたり(事実マジでその後6年間会話しなかった)
小学2年のときの図工の授業で、『ふしぎな木』という課題が出て、先生はお手本を描いて黒板に貼っていた。それは木だけど山みたいに盛り上がってる、「木って言うか山だろ」みたいな絵。周りの子はみんなそれを真似した。ただ色を変えただけで、みんな「山」を描いた。忖度を知らない僕はモジャモジャで迷路のようにうねった木を描き、担任の先生にとても褒められ、父が額に飾ってくれた。教室の後ろの壁一面に並べられた「山」の絵のなかに、1枚だけ「ふしぎな木」の絵があった。大学3年くらいになるまでその絵はずっと実家の廊下に飾ってあった。父は、僕の描く絵の独創性を褒めてくれていた。作品をタンスに仕舞ってくれたりしていた。僕はそのとき、芸術の世界では、変わり者であればあるほど褒められるんだと学習してしまった。だから、変わり者の僕は将来ものすごく褒められるに違いないと思ってしまった。先生の言う事を聞かなければ聞かないほど褒められると学習してしまった。僕には「何か」があるんだと、その時確信した。
学校ではいつも浮いていた。できないというと、嘘だと言われた。分かってもらえなかった。あるときTVアニメ「ポケットモンスター」で、タケシの「男にはこだわらなければならない時がある」という発言を聞き、自分は男だと本格的に自覚し始める。落ちこぼれのサトシが、家を飛び出して世界に認められていくストーリーにひどく共感し「信仰」した。自殺を考えていたがポケモンのストーリーを追うために自殺を取りやめる。将来はポケモンのように子供の心を救うエンターテイメントを作る人になると決意。
いつからか、誤解されたり勘違いされたりすることが当たり前になっていって、訂正しようとも思わなくなっていた。「男なのに女だと思われる」という根本的な誤解が解けない以上、この世に自分を理解できる人間は居ないのだし、この体で何を言ってもどうせ信じてもらえないと思っていた。だから人間関係も淡白で、他人と必要以上に関わらないようにしていたし、受けた誤解を積極的に解くこともなく、質問されても無難な返事で濁すようになっていた。「学生の本分は勉学」と自分に言い聞かせ、青春時代は勉強につぎ込んだ。発想で勝負する数学の世界にのめり込む。専門学校への進学を希望したが2Eの父に却下される。母に性別違和をカミングアウトしようとするも「最大の親不孝」と言われ、高校卒業とともに家を出ることを決意。必死で勉強し、学費の安い地方の大学へ進学した。すべては性別適合手術のためだった。性転換のあと、ポケモンのようなエンタメ関係の仕事をする予定だった。エンタメ系のため、ホルモン療法までする必要はないと感じていた。漫画家のような自由業の可能性もあるし、「女ではない」と認識してもらえればそれで良いと思っていた。
大学に進み、エンタメ業界で食べていくための努力(勉強やポートフォリオ作成など)と、大学の勉強と、自炊その他家事をこなしていたが当然無理があり、わずか1年で不定愁訴が表れ始めるがそのまま放置。同一性保持もあり無理矢理生活していたら悪化、過敏性腸症候群となり慢性疲労症候群と化学物質過敏症、潰瘍性大腸炎、副腎疲労症候群、SIFO、特発性反応性低血糖症を発症。救急搬送。進路どころではなくなり、一時休養。病院で原因が分からず長引いたためいまだ完治せず。
成人してすぐに行ったジェンダー外来で発達障害と言われ、親の同席を強制され性転換を断念。性転換できぬまま実家に戻ることに。初めこそ誤診だと怒ったが図星の所もあり、自分を形作っていたアイデンティティや自己認識が根本から崩れ落ちていくような感覚になり10年ほど塞ぎ込む。母にカミングアウトすることもできず性転換は一時断念。人間関係の淡白さが祟り休養中に労わって寄り添ってくれる友達の存在がなく非常に孤独で高度なストレスを感じ、病状は悪化。歩み寄ろうとしなかった自分も悪いのだが、すべて打算で近付いて来られていたことにかなりショックを受ける。そんななかたった一人だけ返信をくれる女性に恋をし、初めて初恋を知る(30歳)。子供の頃イケメン陽キャ男子と話すときの居たたまれない「一刻も早く消えたい」「同じ地面に立ちたくない」というドキドキや、話題が合う男子と話した時の「もっと遊びたい」「嬉しい」「楽しい」といったワクワク・うきうきとも違う、「ただ近くにいるだけで幸せ」を感じるようなときめくような感覚を初めて体験する。そこで初めて恋愛対象が女性だと自覚し、強く「ホルモン療法をしたい」と考えるようになった。←今ここ
父の死をきっかけに立川市に転居。就労移行支援を経て就労継続支援事業所で就労中。生活保護を受けながら就労を目指している。「Lancers新しい働き方Lab」第一期生(のはず)。副業でVtuberやりたい♡
得意なこと:デザイン、ライティング
好きなこと:歌
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発達障害なりに色々考えて生きてます。応援していただけると嬉しいです。